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天、知る 地、知る 我、知る この言葉を日蓮聖人は引いて、物事の善悪は隠しようがないことをのべている。 他人の目を盗んで悪事をしても、それを天の神・大地の神はは見逃さずに見ている、たとえ、天地の目をかすめようとも、自分自身が一番、知っていることだと諭している。 仏教は善と悪の因果を説いて、悪事をしないように説く。 善因善果・悪因悪果である。 道路や他人の家の前にゴミを捨てる者。 彼らは自分の家の前にはけっしてゴミを捨てない。 もしも、家の前にゴミを捨てた者をみたなら慰謝料を払えと言わんばかり。 自己中なのだ。 しかし、これを批判できるだろうか。 違った形で同じことをしてはいないだろうか。 隠れての巧ありて 顕れての徳となる という、日蓮聖人の言葉がある。 誰も見ていない処にいると、 その人間の根本的な性格を判断できる。 私達は誰かに褒めてもらうと嬉しいものだ。 また、褒めることの大切さを教育者は知っている。 私は 神・仏という普通には姿を見ることができないものに、 褒めてもらうべきだと思う。 我は知っているからだ。 |
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