50.我れ知る

      天、知る
         地、知る
            我、知る


 この言葉を日蓮聖人は引いて、物事の善悪は隠しようがないことをのべている。
 他人の目を盗んで悪事をしても、それを天の神・大地の神はは見逃さずに見ている、たとえ、天地の目をかすめようとも、自分自身が一番、知っていることだと諭している。
 仏教は善と悪の因果を説いて、悪事をしないように説く。
 善因善果・悪因悪果である。

 道路や他人の家の前にゴミを捨てる者。
 彼らは自分の家の前にはけっしてゴミを捨てない。
 もしも、家の前にゴミを捨てた者をみたなら慰謝料を払えと言わんばかり。
 自己中なのだ。
 しかし、これを批判できるだろうか。
 違った形で同じことをしてはいないだろうか。

    隠れての巧ありて
         顕れての徳となる


 という、日蓮聖人の言葉がある。
 誰も見ていない処にいると、
 その人間の根本的な性格を判断できる。

 私達は誰かに褒めてもらうと嬉しいものだ。
 また、褒めることの大切さを教育者は知っている。
 私は
 神・仏という普通には姿を見ることができないものに、
 褒めてもらうべきだと思う。
 我は知っているからだ。