58.強くなれ

雪の下に雑草が生えているのを見て、雑草の強さを改めて知った。
まさに、「雑草の如く」である。
同じ草でも、喜ばれたり、嫌がれたりする。
その嫌な草が雑草と呼ばれてしまう。
では、「雑草の如く」とは、世間から嫌悪されることを言うのか。
我々は、その生命力を学べということだが、
時には、せっかく耕した畑の養分を吸い取ってしまう。

スズメ蜂の一匹が、駐車場に死んでいた。
アリがそれを巣に運んでいる。
もうスズメ蜂が、こんなに大きくなっていると驚きながらも、
アリがせっせと運ぶ。
まだ、解体しなくてもよい大きさなのかと、巣穴を見る。

小さな庭にもたくさんの生命がある。
山が近いので狐もいるし蛇もいる。
蝦夷リスを追いかけ餌食とするカラス。
小さな者は大きな者に食べられる。
それを阻止することは不可能だ。
人間だけは、それをしたくない。
だが、正しいことを貫くならば「雑草の如く」だ。

日蓮聖人は『法華経』を滅ぼす者を邪智と呼んだ。
『法華経』が成仏の良薬だからである。
「仏法は勝負をさきとする」
『法華経』を広める者は強くならなければならない。