6.お医者さん頼みます

 宗教や信仰に関心がなくなっていく事実は今後も進むと思います。
 これは僧侶が否定されていることをハッキリ示したものです。宗教や信仰に関心がないと言っても神社仏閣にお参りしたり観光客に装っても手を合わせています。お守りグッズと名ずけて密かに車や彼氏に持たせたりしているようです。
 葬儀に関して戒名の問題やお布施のことも僧侶が納得させるだけのことをしないと言えます。なぜ葬儀が死者にとって大事なのか戒名は死者にとってどうして有難いのか、そして、そのお金がどのようにお寺のため檀家のために使われるのかを正々堂々と言わなければなりません。
 まさか、ゴルフに行きましたとか競馬に使いましたとかすすきのに飲みに行きましたとは言えないでしょう。
 宗教に関心はないが老後に不安をもっている人は増えているそうです。高齢になったら子供と同居したほうがいいかというと、そうは思わない人が増えています。
 高齢社会・少子社会になり、老・病・死の三苦を耐えていかなければなりません。生きていくのですから生を加えてやっぱり四苦八苦ですね。
 老いることは諦めが付きますが、病気だけは避けて通りたいものです。人間ドッグに入り病いがあるなら早めに治療して長生きする。病気だと感じたら日本一世界一のお医者さんに診てもらう。手術もそうですね、腕のいい先生に執刀してもらいたいものです。
 人間は生に執着があります。あたりまえのことです。ですから数十万数百万のお金を病院にかけます。葬式代が高い、戒名が高いと不平を言っても、病院には納得します。お金をかける価値があると思うからです。
 医療ミス。お医者さんは神経をつかいます。心臓の大野病院ではバーコードを取り入れて点滴ミスを防いでいます。看護士さん、患者さん、点滴のそれぞれにバーコードがあって、万が一間違いがあると異音がでるそうです。
 病いは気からと言いますが、いい先生は患者の心に話しかけてくれます。だからいいお医者さんなのです。昔は病は医者、気は寺というふうに思いましたが、今は両方ともお医者さんに委ねられているように思います。
 時代劇を見ますと親や子、妻や夫のためお百度参り、願掛け地蔵さんに病を治して頂くといった光景をみますが、今は昔といった感じがします。それほど宗教に頼らなくても良い医学が発達したということと思います。
 しかし、名僧のもとには信者さんは集まっているようです。神仏の救いがある信仰は必要なのです。
 お医者さん頼みますと共に小声でお坊さんにも頼みます。