61.床屋の見習い

 中学を卒業して理容学校へ行きました。自分から進んではなく、命じられるまま仕方なく通い、すすきのにあった理容院に住み込みました。一年間、ここで働きほかの店で半年のインターンをしましたが、自分に理容師としての才能がないことに迷っていました。
 好きですることでも、いざ商売としてプロになれるとはかぎりません。自分ではさほど興味がなくても、思わぬ才能を発揮することがあります。この天職を見出せるかが大事です。
 理容師にむかないと知って退職し、日通の日雇い労働をしばらくしました。
 私にとって、この理容院の住み込みと、日雇い労働は貴重な経験となりました。理容師の職人気質はプロとしての自覚を促すものでした。理容院は親子の夫婦たちが経営しており、老母は私に「腕に覚えたものは一生腕が覚えている」。また、「腕さえあれば、どこでも身を助ける」と教えました。
 洗濯板を使い毎日タオルを洗います。シャンプーは手を粗します。毎夜手袋をつけて寝るのです。毎朝、玄関のタイルをたわしで洗います。冬はたきつけで石炭ストーブをつけます。二人の先輩がいました。阿寒に実家がある先輩だけが残り、私がいたときに四人の出入りがありました。さまざまな人間がいることを知ります。
 あるときサインポールを外に出すときに倒し壊してしましました。そうとう叱られ弁償になるなと思っていました。ところが怒らずに優しく笑ってくれました。
 食事のときも、おかわりを言うまえに、「おかわりいかがですか」と言わせ、茶碗にご飯をよそるにも山もりにするなと言われ、他人の飯にはとげがあるといいました。緊張した毎日のなかで、優しくしてくれたことは忘れられません。

職人さんは腕が勝負です。そのためには日夜精進しなければなりません。うさぎと亀の物語があるように、本来そなわった天性が違います。しかし、形が残るものは良し悪し、好き嫌いがはっきりします。いかに、心をこめても認められない世界があるのです。

心をこめてしたことが、すべて認めてもらえる世界、それが私にとって信仰の世界だったのです