65.震災はやまず

東日本震災の悲しみは消えることはない。被災して亡くなった人の供養を、遺族や被災者からのぞまれ、その意識が高まっているという。いまだに見つからない人もいる。毎日さがしまわっている。心の安堵もないのである。

 突然のできごと。9か月を過ぎても消えない現実が、目の当たりに存在している。時は止まって、苦しみは増すばかり。家・会社、何よりもかけがえのない人の命がうばわれた。村も街も地域全体が失われてしまった。人々の心から奪われた思い出。しかし、必死にとりもどそうとしている被災者たち。  

だが、安眠できる日は今もないという。子供の笑顔が消えたという。海に面した地域では、市の規制により、なにもできない、なにも変わらない状況だという。これでは街の機能がとりもどせない。

天災にくわえ人災が大きい。放射能に汚染されたときの対策ができていなかった。今なお真実は隠されたまま。ひたすらに隠す悪者がいるからだ。そう思ってしまうのは私だけではない、被災者は歯が折れるくらい悔しがる。心のケアをのぞんでいるが、それをできるのは善良な政治家と公務員だ。政治家や官僚となった人は、その能力を国民のために使ってもらいたい。毎日毎日の新聞やテレビ、ネットを見ても、誰一人として国に期待をもっている人はいないかの如くである。

今は心災に悩んでいるのである。宮沢賢治の「雨にもまけず」の言葉に励まされているという。賢治は法華経の信者であり、「雨にもまけず」は法華経の精神をあらわしたものである。宗教者にして、この言葉が発せられるなら、政治は宗教心をもたなくてはならないであろう。