67.「幽霊」が見える                       高橋俊隆

  週間仏教タイムス平成二四年六月七日の新聞に、「幽霊」のことが、東北の地震・津波に被災された人達の言葉として載っていました。

 現代に幽霊騒ぎなどあり得ない、と思う人が多いと思います。半信半疑であっても自分の結論としては幽霊の存在を否定してしまう、そういう人が大半でしょう。では、自分の目でそれを見たなら、妄想とするか、見間違いとしなければなりません。

 この幽霊がでる、という話は震災の直後から、たすけて欲しいという依頼がたくさんありました。北海道新聞にも載りました。亡くなった人の霊を救ってほしいという願いでした。亡くなった霊の無念さと、言い残しておきたい言葉があることをわかるからです。

 新聞には、「オバケなんていない」と言っていた人、幽霊を否定してする宗教の信者でさえも、幽霊に悩まされている、とあります。幽霊が「いる / いない」の問題ではなく、現に被災者は「見ている」のです。正常な人が訴えることなので、医学的にも処置ができないのです。

 私たち仏教徒は毎日、被災の物故霊のために供養を続けています。大事なのは有縁の方からの心のこもった供養です。幽霊として姿を見せる理由はなんでしょう。私たちがその立場だったら何を伝えたいのでしょうか。私たちに何ができるのでしょうか。私たちは何をしてあげればよいのでしょうか。

 皆さんにお伝えしたいのは、死後の世界があるということです。肉体は亡くなるのは道理です。私たちが物事を考える頭脳や心が魂というものです。この心は肉体がなくなっても永遠に存在していくのです。久遠の生命があるのです。過去・現在・未来に生命は生き続けます。私たちの生前の行いが未来である来世を形づけ決定させます。これが因果の教えです。そして、亡くなった霊は法華経の「お経の力」で仏心をもち、心に救いを持つことができるのです。南無妙法蓮華経のお題目をお唱え下さい。