69.神仏とは正直に                         高橋俊隆

信仰をもたない国民といわれるのは日本人です。いちおう神社に初詣でして、お神籤を引き、大吉がでれば喜び、凶がでれば神社に結んで帰ります。葬儀や法事は寺で行っています。ウエディングドレスは教会で着るのを理想としている女性。信仰ではなく儀式として行っているだけと思われます。しかし、このような姿こそが宗教性のある国民なのです。

団塊の人達よりも、今の幼少から青年の人達の方が、信仰心をもっていると発表されました。さらに、東日本の震災で信仰心が強まったといいます。神や仏の存在を信じ、霊魂を信じるかというアンケートの結果です。

私は子供のころから神社に行くのが好きでした。上砂川という炭坑で育ち、落盤事故で坑内に何日も閉じ込められ、遺体で出て来たのを家族や友人が泣きついていた光景を何度が見てきました。そのなかには同級生の親もいました。神に安全を願うという心の作用が起きたのです。家庭の神棚には毎日、お水をあげました。そのことを親は知らなかったようで、両親は信仰のない人だったのです。在家から出家したのは、神や仏の存在が現在に具現し、人間の魂も永遠のものである、という観念にあこがれました。人間の命ははかないものであり、人間の社会は美しいことばかりではありません。しかし、神仏との対応においては素直な自分であったほうがいいのです。悪い人にならなくてよいのです。

信仰をする対象を自分で決めるときに、好きだとか私には合わないという人がいます。たとえば、どんなに悪いことをして生きても、最後に仏の名前を唱えれば罪が消え、極楽に行けるというのは、一般的には理想的なものです。でも、はたして、そんな簡単なものなのでしょうか。よく神任せといいますが、仏教には仏の顔も三度までという諺があります。しっかりと教を学ぶことが大事です。