72.仏教ばなれと言われて            高橋俊隆

仏教ばなれと言われてから、もう半世紀ほどたちます。

その原因を僧侶に向ければ、僧侶の力なさに尽きます。

民族学の権威の先生は、僧侶が神仏の存在を信じなくなったこと。

そして、霊の存在を信じなくなったことにあると指摘しました。

神仏の存在や、霊の存在は信じるのではなく、見ることです。

自分の目や五感に知ることができないと、理論的に信じるしかありません。

昔の人は神仏や祖先などの霊を見ていたといえます。

それは、神事や仏事をみると、その作法が叶っているからです。

現在は騒音がうるさくて五感が働きません。

体調の悪いのが自分の業や霊障であっても気づきません。

医学が進んだので医療技術にすがります。

医術で治る病と、不治の病があります。

その不治の病の根源は業や霊障によるものです。

世界はますます悪世化しています。

日蓮聖人が『立正安国論』にのべた末法の時代なのです。

人心も境遇により変わります。

しかし、同じ船に乗っている優しい人ばかりなのです。

こういうときこそ、強い信心が必要です。