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仏教ばなれと言われてから、もう半世紀ほどたちます。 その原因を僧侶に向ければ、僧侶の力なさに尽きます。 民族学の権威の先生は、僧侶が神仏の存在を信じなくなったこと。 そして、霊の存在を信じなくなったことにあると指摘しました。 神仏の存在や、霊の存在は信じるのではなく、見ることです。 自分の目や五感に知ることができないと、理論的に信じるしかありません。 昔の人は神仏や祖先などの霊を見ていたといえます。 それは、神事や仏事をみると、その作法が叶っているからです。
現在は騒音がうるさくて五感が働きません。 体調の悪いのが自分の業や霊障であっても気づきません。 医学が進んだので医療技術にすがります。 医術で治る病と、不治の病があります。 その不治の病の根源は業や霊障によるものです。
世界はますます悪世化しています。 日蓮聖人が『立正安国論』にのべた末法の時代なのです。 人心も境遇により変わります。 しかし、同じ船に乗っている優しい人ばかりなのです。 こういうときこそ、強い信心が必要です。 |
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