75.本当の僧とは                       高橋俊隆

私は着る物や腕時計などの装飾品に興味はありません。また、食べ物にも欲がありません。見た目にはダサイ風ぼうで、スイーツなども一生食べなくてもよいほど興味がありません。毎日の食事も食べさせて頂けることに感謝しています。でも、美味しい物は美味しいと分かりますよ。どんな食べ物でも有り難うと思って頂いています。これは托鉢の原点だと思います。布施供養して頂いたものを食して功徳としてあげるよう修行をするのが托鉢行です。注意することは、托鉢を受けた僧が、その供養にたいし応分に功徳として、返してあげられるか否かにあります。不真面目に修行していてはダメということです。それができる僧に、仏教では「応供」(おうぐ)と言う称号を授けられます。

日蓮聖人もいかに誠心誠意を込めた布施でも、それを受け取った僧の行いにより無駄になることがあると言います。さらに、その僧と同じ罪を受けることになると言います。これは僧侶にたいしての注意と受け止めることですが、しかし、普通に考えて見て、僧に布施したお金を悪いことに使う、仏事に関係のない奢侈な生活に使うのを見ればうれしくないですね。やはり、僧は清楚な生活をすることが大事だと思います。昨今は高価な外車や腕時計をし、高級レストランで食事をしている僧が、偉い僧だと思う若い僧が出て来ています。なげかわしいことです。一休さんのように短い白衣にはだしでお堂の廻りを掃除している僧はいません。たいてい大学から僧になり、簡単な手続きで僧となる中年層がふえています。

僧の根本は「少欲知足」です。まじめに仏道を歩むことです。出家と言っても在家と同じ気持ちで毎日を過ごすのは出家ではありません。毎日を仏道修行としている僧が出家なのです。また、亡くなった霊を供養することができ、生きている人を救済できる僧にならなければなりません。法華経には「病即消滅」と説かれています。その経文のごとくに実行できる僧こそが、本当の僧だと思います。
合掌