79.天下五剣の名刀「珠数丸」は日蓮聖人の護身刀   高橋俊隆

名刀「珠数丸」は日蓮聖人の護身刀とされます。珠数丸は後鳥羽上皇の番鍛冶の一人である備中の青江恒次の作です北条泰時は刀工六人を隠岐の後鳥羽上皇に献じています。珠数丸恒次は天下五剣の一振りとされ刀身は九一、四㌢の長身です。由来は後鳥羽上皇が関東調伏祈願のため、自ら向う槌を取って青江恒次に鍛えさせた三振りの中の一つです。天下五剣とは鬼丸国綱大典太光世三日月宗近数珠丸恒次童子切安綱の五口の名刀のことです。日蓮聖人が身延山を開くに当たって信者から寄進された太刀で、日蓮聖人は常にこの太刀を佩用し、柄に珠数をかけて破邪顕正の剣とされたところから珠数丸の号がつきました。しかし、日蓮聖人の葬送のとき池上兵衛志宗長(弟)が大刀を奉持しています。その大刀は珠数丸と思われます。佐渡流罪中に北条彌源太氏より寄進された大刀と思われます。『彌源太殿御返事』に、

「又御祈祷のために御太刀同刀あはせて二送給はて候。此太刀はしかるべきかぢ(鍛匠)作候歟と覚へ候。あまくに(天国)、或は鬼きり(切)、或はやつるぎ(八剣)、異朝にはかむしやうばくや(干将莫耶)が剣に争かことなるべきや。此を法華経にまいらせ給。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬ば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。後生には此刀をつえとたのみ給べし」(八〇六頁)

と述べていることから二振りの刀が寄進されたことが分かり、日本や中国の名刀にも匹敵すると述べています。この天国とは日本の刀鍛冶の祖のことで、天国作とされる小烏丸」は現在、皇室御物として国立文化財機構で保管されています。鬼切(童子切安綱)とは多田満仲が戸隠山の鬼を切ったとして源氏に伝わる名刀です。八剣とは草薙剣のこととも言います。(『日蓮大聖人御書講義』第二五巻三七七頁)。また、菊の御作、備前宗吉、備前行国、備中貞次、備中次家、遠江友安(友吉)、ほか二名は不詳ですが、これらの八剣を言うものと思います。干将と莫耶は中国の二名剣で、干将と莫耶の夫婦が呉王のために作った陰陽二剣のことを言います。日蓮聖人がこれらの刀にも詳しかったことが分かります。日興上人の『御遺物分与帖』に、「御大刀一。小袖一。袈裟代五貫文。侍従公智滿丸」とあります。『御書略註』の「御遺物分」には、侍従公日祐、智滿丸という。親王の兄弟分なる故なりとあります。彌源太が寄進した二振りの一太刀は智滿丸に形見分けされたと思われます。日蓮聖人の百ヶ日に(弘安六年正月二三日)、御廟所を建てて御真骨を納め、併せて御袈裟と中啓とこの大刀を納め、「身延の三宝」として秘蔵されました。ところが、享保年間(一七一六~三六)に行方不明となります。大正九(一九二〇)年十月頃、宮内省刀剣御用掛の杉原祥造氏が再発見しました。杉原邸の近所にある兵庫県尼崎市の本興寺に寄進され、現在も本興寺が所蔵し重宝となります。(石川修道著『国難に立ち向かった中世の仏教者』三三九頁)。日蓮聖人が珠数丸を所持されたところに、後鳥羽上皇説を補強したことになりました。