82  .節分の鬼とは                    高橋俊隆

節分といいますと、2月の豆まきのことと連想しますが、じっさいは季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日のことをいいます。しかし、2月は新年の始まりとするのが暦の正しい見方ですので、年始を清らかに迎え、この年も無病息災を願う気持ちを、一番強く感じるのが豆まきの節分です。

 豆をまくのは、悪いことを追い払うという気持ちからでたものです。豆は悪鬼を払う力を持っています。豆を煎るのは悪い芽がでないように祈るからです。また、語呂合わせで「魔を滅する」から「魔滅」(まめ)と古来の先祖は考えたのです。自然災害や飢饉・伝染病から逃れることを祈ったのです。

 豆を鬼に打ち付ける行為は、そのような災害が来ないようにとの願いです。また、先祖は私たちの「心」の中にも鬼がいることを知っていました。それは、私たちの悪心であり、強欲です。悪心は結果的に良いことにならないことを知っているのです。欲は自分の事だけを考えて、他人の幸せを考えないことになりますから、それでは、皆が楽しくなることはないと知っているのです。赤い鬼や青い鬼、黄色い鬼は私たちの心にある貪りの欲、愚かな欲、怒りを作る欲の現れです。ですから、それを出さないよう、自制することを誓うことでもあります。

 釈尊は法華経において、自分が悟りを開いて仏となったのは今ではなく、過去の遠い遠い、数字では表せない久遠のことであると、始めて説きました。その証人となったのが地涌の菩薩たちです。これは、私たち全ての人間も過去・現在、そして、未来もあることを教えたのです。釈尊は過去に死んでも、印度に生まれてきたように、私たちも永遠の生命を持っていることを示されたのです。

 大事なことは因縁・因果を示されたということです。わかりやすいのは、善因は善果となり、悪いいことをすれば、必ず悪業となって自分の身体にかえってくるということです。

「情けは人のためならず」というのは、善いことをすれば、必ず良いこととして我が身にかえってくるということです。仏教は人を尊ぶことを教えます。それは、誰もが仏と同じような優しい心を持っていることを知っているからです。

 節分をむかえ、優しい心、慈悲の心を忘れないように自戒しましょう。そうすれば、身の回りからあたたかい人生がうまれてきます。     合 掌