102.末法を生きる

 今こそ政治の力が必要なときです。東北で被災された人の声も法律によって届かないのです。現場の窮状は政治の裁断を待つしかないことが多いのです。義援金を早急に送っても、3か月たった今でさえ届いていないのです。今日、食べるお金に困っている状況を見れば、直接、送ってあげた方が良かったと思ってしまいます。

 政治不信という声は昔から聞きますが、これは、政治家が信用できないということでしょう。どんなことでも不信をもたれてはいけません。警官もそうですし、裁判官もそうです。しかし、医師もその通りですが、医師に関しては私たちが医師を替えればよいのです。

それぞれの立場の人は、たえず学んでいかなければなりません。とくに、医学はそう思います。若い医師のほうが知識を持っているといい、外科の手術も上手といいます。感だけで治療する時代は終わり、すべてがコンピュータ断層撮影などの検査による方法になりました。治療が進んだということでしょう。

 それに反して、仏教を学ぶ者は激減したように思います。今回の震災により、「神がいないことがわかった」というフレーズをたくさん見聞きします。「天罰」とはなんと人を蔑んだことをいうと攻撃されました。災害にあった大勢の人、小さな子供たちに「天罰」とはかわいそうというのです。

 釈尊は生・老・病・死、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦八苦に苦しんでいる人々に前世の行いについて説きました。それを聞いた人々は、自分が過去前世に犯した罪を自覚したといいます。

また、災害は人の心から起きるとも説いています。それは時が過ぎれば過ぎるほど強くなるというのが末法思想です。仏典には三災・七難が起きると説かれており、それを解決するのが法華経の信仰であると説いたのが日蓮聖人です。南無妙法蓮華経と世界中の人々が唱えれば災害を回避できると説くのです。

たしかに、私たちが協力してゴミを捨てなければ世界は綺麗になるでしょう。自分よりも相手を尊重した行いをすれば争いはなくなるのでしょう。

今はただひたすら被没者のご供養と、国土の安穏を日蓮聖人の門家一同が祈念し、救助活動を行っています。南無妙法蓮華経とお唱え下さいますようお願いいたします。