105.正直に生きる

 正直者の頭(こうべ)には神が宿る。

私たちは現実の世の中を生きていますので、正直すぎて騙され、バカを見たりしているのが現実です。世の中には、震災に付け込んで詐欺をする震災詐欺が横行しています。かなしいことです。

妄語とは真実ではないことを語り、人を迷わせることです。ほかに、綺語という飾ったことばもあります。仏教の教えを誤って説くことを邪言といいます。同じような言葉でも方便というのは、これらとは違った意味があります。方便は正しい真実の方向に導くことをいいます。ですから、時にはウソも方便という使われ方をします。

「三つ子の魂、百まで」というのは、「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」。幼いときの性質や培った習慣は、老人になっても変わらないというたとえです。

子供の教育はだれでも気に懸けるところです。一番は、皆様が思うように母親にあります。現在の説では1歳から1歳半までの母親と子供の信頼関係が、その子の性格に大きく作用されるといいます。このなかで、信頼される母親になること、その母親から叱られることが大事であるといいます。あまやしてはダメということなのですね。

背中におぶるのと、抱っこだきでは、どちらが子供との信頼関係があると思いますか。背中におぶる方が、精神的な信頼関係が、言葉を通さずにつながるという説もあります。どちらも時と場所に応じてされればよいのでしょう。

正直に生きるというのは、神や仏に対して正直に生きることです。日本の信仰は古くから山岳信仰にあります。自然の海や山に恵まれた環境にあったからでしょう。死後の死生観についても自然に帰るという信仰観をもっています。仏教は死後に行くところを、地獄・極と、その人の生前の行いによって区分しました。

そして、正直の者は死後に極楽浄土に行くことがでると説きました。さらに、現在の積徳により、来世には福徳を備えて生まれることを説きます。このとき、妄語の罪を作った者は不妄語戒を犯した罪により、五戒のそれぞれの苦痛をうけなければならと説きます。 

しかし、これから救われるのは信仰にあると仏教は説いています。法華経を信仰し、日蓮聖人に従う私たちは、宮沢賢治さんに習うまでもなく、正直に生きる社会を目指さなければならないのです。