107.僧侶を大事にする

僧侶を大事にすること

法華経のことを知りたければ法華経を読まなければならない。法華経の教えを知るには日蓮聖人の御遺文を読むことが早道です。

日蓮聖人は信心を強くもつことをのべています。信仰の厚薄、浅深によって、その功徳に違いがあるとのべています。仏道修行においては、行えば行っただけの効果があるということになります。まじめに、素直に信仰を行うことがわかります。

僧侶の信仰のしかたと、檀信徒が行う信仰には違いがあります。僧侶はそれが専門ですから、檀家以上の厳しい修行をし、その行力を積み、心身の苦悩を取り除くことが肝要です。それはとうぜんのことです。まさに不惜身命の覚悟で生きていくことが信頼になります。

檀家は寺院を維持していくことが肝要です。もっと、はっきり言えば僧侶を助けていくことが最も大事なことです。つまり、寺院を大きくするとか建物などを寄進することが一番大事なことではないということです。

釈尊に祇園精舎を須達長者は大金をだして寄進しました。しかし、その祇園精舎は平家物語に語られるように衰微し、玄奘三蔵がインドに行ったときには消滅していました。では、日蓮聖人はどうでしょう。身延山にいても弟子たちがあふれていたという、狭いお堂であったのです。法華経を説き広めることが大事であったのです。

身延山の生活は安穏ではなかったのです。常に食糧に悩まされていました。また、冬の長く寒い生活は心身を弱らせました。ですから、食糧を供養されたときの喜びは大きかったのです。

鎌倉や千葉、静岡、山梨などの檀家は食糧を届けました。日蓮聖人はそれを法華経の御宝前、釈尊の御宝前にお供えされたとのべます。そして、その食糧をいただいたことにより、風前の灯のように消えかかった命に灯を得ることができたと感謝されています。この供養をうけたことにより身体に力がわき、法華経を説き広めるという活力ができたとのべています。

そして、日蓮聖人は法華経の命を継ぐことができたと、供養をされた施主の功徳を説いています。つまり、日蓮聖人を供養することが大事なことなのです。翻って、妙覚寺においても僧侶がいてこそ、寺院が成り立つのであり、檀家を助けていくことができるのです。

日蓮聖人が四条金吾さんに言ったことと、波木井さんに言ったことの違いはここにあるのです。このことについては、次の機会にのべましょう。