109.おたきあげの怨念

 人の気持ちは強い力をもっています。これを「気力」といいます。人によって、この気力に強弱があります。正月の恒例になっている箱根の駅伝、かく大学のランナーは襷をつなぐために必死に走っています。その姿に私たち日本人は感激します。そのランナーの気持ちほど強いものはありません。また、親が子供をおもう気持ちは、これに過ぎます。

 おたきあげのなかには、こういう気持ちが入った物がたくさんあります。木札や紙札などはおもに家内安全を願って、家をまもっていただきますが、一年ごとに取り替えますので、それほど強く念が残りません。お守りは肌身につけていれば、ある程度、念が強くのこっています。これは、悪いものから身をまもっていただいているからです。お守りのなかに、悪いものを吸収し封鎖しているからです。ですから、一年ごとに新しいお守りと取り替えます。お守りの力もだいたい一年くらいで、お経の力がぬけていきます。燃料と同じで使うほど消費するのです。貯蓄も使えばなくなるのと同じで、お経の力が、健康や事故などから守って、いろいろなことを護ることから、経力が少なくなっていくのです。

 人形とか衣服など、大切な思い出をもっていたものには、その人の気持ちが強く込められています。写真や持ち物なども同じです。大きくいいますと中古の家や車なども、まえの所有者の気持ちが入っています。ですから家のご祈祷をします。

 おたきあげをしにもってくる物のなかには、自分で処理するのは怖いので、神社などでお祓いしてもらおう、お寺でご祈祷して消滅してもらおうと、考えているばあいがあります。それは、よいことです。しかし、最近はゴミ箱に入れるような感覚で、お寺に知らない間に置いていく人がふえました。

 それぞれに強い怨念みたいのがこもっている物もあります。今年のおたきあげは、そのような物がたくさんありました。ご祈祷をする私からしますと、泥や油に汚れた衣類を、一生懸命に洗っているようなものなのです。かんたんには、その怨念が抜けてくれないのです。法華経の力はすごい、と感じるときでもあります。