110.信仰の指針は教えを学ぶこと               高橋俊隆

 腰痛のため自由に動けなくなったときは、普段から養生をしておけば良かったと思いました。階段にのぼるのもやっとでした。立っていると足がしびれてきます。そんななとき、なにかできることはないかと考え、はじめたのが日蓮聖人の歩みと教えを綴ることでした。平成17年の5月からです。まとまったのは5年後でした。平成22年に第1部を完成し、今年の3月に第3部を発行しました。とうしょ3部だったのが5部になります。この間、木訥な文章しかできませんが、勉強をさせていただきました。

 いろいろ励ましの電話やお手紙をいただきました。大賀義明先生からメールをいただき有り難く思っています。このなかで、「本門八品」・「一念三千仏種」という表現についての感想がよせられました。「本門八品」を表にするのは顕本法華宗などの特徴であるからでしょう。あらためて、日蓮宗や法華宗、在家日蓮宗浄風会など、さまざまな宗派の専門用語の重要性を知りました。深く掘り下げて勉強しなければならないと、身が引き締まる思いです。

 妙覚寺は旧中山妙宗(中山法華経寺)に属する寺でした。昭和48年に日蓮宗に合同復帰しました。私が妙覚寺にお籠もりするようになったのは昭和43年のことでした。中学を卒業して理容学校に入り、半年ほどインターンをしました。養母からの要望だったので気が進まない就職でした。でも、素質がないため自分の考えで別な職業を探そうとしました。そんなおり、養母のすすめで妙覚寺に籠もることになりました。長年、養母が病気で苦しんでいたのが信仰により快癒しました。それが、妙覚寺に行ってみようと思った理由です。

 札幌に明田川さんが支部長をされた本化妙宗聯盟と、藤本上人が住職をされていた本門八品教会がありました。明田川さんは毎月、市民会館で法華経講座を主催され、藤本上人が法華経講義、妙覚寺山主の小入羽上人が御遺文講義をされていました。本門八品派の夏期講習会に毎年参加し、本化妙宗聯盟の高橋智遍先生が妙覚寺にても講義をされました。鎌倉の本部の講習会にも2度ほど参加しました。

 昭和44年の6月に得度をし、翌年の2月に中山法華経寺に入り、定時制高校に進学します。この間の勉強は田中智学先生や山川智応先生、中川日史上人の著述をおもに学んでいました。立正大学も二部の夜間教育をうけて卒業しました。大学に入ってから日蓮宗の浅井要麟先生や望月歓厚先生、茂田井教亨先生などの著述にふれました。大学には宮崎英修先生・浅井円道先生・渡邊宝陽先生などの指導をうけました。

 大賀義明先生から指摘をされて思ったことは、私が求めてきた勉強は日蓮聖人に近づきたいという願いであったことです。ですから、宗派の定められた教学を学ぶというよりは、日蓮聖人の教えを学びたいという一念でした。私の長短のどちらかは分かりませんが、勉強不足であることを実感しました。私のなかに本化妙宗聯盟と顕本法華宗の教学の血が流れているのはスタートが、そこにあったからだと思います。信仰をするには日蓮聖人の教えを学ばなければならないと思います。コンパスがなければ方向を見失うからです。