113.東日教上人のご法話(2)

 永い戦争の為に修理も出来ず、雨漏はする、畳はボロボロで大変荒れているお寺でした。その寺に、占領軍であるアメリカ人が十五名、然も、日本の宗教の真髄を見せてくれ−と云うて、見延山から僧侶までついて来たのであります。

 当時、アメリカは日本という国を占領しておったのでありますから、大抵の方は、「ハイそうですか」と云うて、何でも応じた時代でありましたが、こと宗教と言うものはそうはいきません。

 「日本の宗教は見せものではありませんから、お見せする訳にはまいりません」

と、おことわりしました。

 すると案内役の見延山の僧侶が困ってしまいまして、

「まっ、兎に角、相手は米軍の方々であるから、どうか少しでもいいから見せてやってはくれまいか」

 と頼んで来ます。

 見延山では位も上の方のかたです。しかし、相手が米軍であろうとなかろうと、見せ物ではありませんから見せる訳にはまいりません。の一点張りでお断り申し上げました。すると、

 「忙しい中を漸くこの十五名を選んで来たのであるから、何とかそこを曲げてお願いしたい」

 と云うて、再三申し込んで来るのです。

 「何度お願いされても見せる訳にはまいりませんと云うて、私は部屋にさがったのであります」

 朝八時頃に寺に来まして、昼食もとらずに午後三時頃になってしまいました。その間、通訳を中に色々と相談しておったのでありますが、ようやく、それに気が付いたのか、

 「せっかく今日はこうして来たのですから、それでは是非ご祈祷をお願いします。」

 と言ってきたのです。

 「ご祈祷なら致しましょう」

 寺の僧として、相手が誰であれ祈祷を頼まれれば断る理由は何もないのであります。

 それに気付くのに延々七時間もかかっているのであります。

 「それでは、ご祈祷を致しますからローソクと線香を買って来て下さい」

 と申し上げると、通訳が何処に売って居りますか……ときくので、寺の門を出た所の小さな店にあることを教えますと、自分で行って買って来ようとするので、私は、その方を止めまして

 「それはアメリカ人自ら買って来なければ駄目です」

 と云うと、付添の僧侶までがあわてまして、

 「アメリカ人に買わせるのですか?」

 ときくのです。私は、もちろん祈祷を頼む者が買ってこなければ祈祷は出来ません。祈祷には、敗戦国も戦勝国もありません、と云うて通訳として一緒に行くことは許したのであります。しかし、選ばれて来たアメリカ人の方々ですから、やはり物わかりはよい、すぐに納得して買って参りました。

 それで、その時に行ないましたのが元旦に行ないますところの

 「肉灯」又は、「肉灯しんぼう」という祈祷であります。ご存知のように左の掌の上に百八十三本の灯尖を束ねて乗せて、掌に油をそそぎ火を付けて、約三合の油を燃やしながら祈祷をするのであります。一寸の間違えも邪念もあってはならないのであります。

 或る時、写真を撮って置きたいから、シャッターを切る間チョットだけその火を掌に乗せて下さい……と云うから、私も写真を撮る間ならよかろうと思って、灯尖をチョット掌に乗せたことがありました。ヤケドをしてしまいました。もちろん、油は過熱しておりますから掌に乗せれば天ぷらになってしまいます。それで、その時とチョットの間とはいえ最初からご祈祷をして、そして、写真を撮ったのであります。

 そんな訳で真剣になって祈祷を行ったのであります。

 すると、祈祷が終ってから彼等の中の一人が、

 「この油には何かまじっておりますか」

 ときくから、

 「はいまぜてあります」

 と答えますと、少しその油を呉れ、と言うのでビンに入れて渡してやりました。

後日、

「あの油には何も入ってはいない。二種類の油が混合されているだけではないか」

 ときいてきたのです。

「その通りです。あれは、菜種油とごま油だけです」

 と申しますと、大変不思議がっておりました。

 又、節分会の朝、真夜中ですね、寺の庭で致しますところのお梵上げの祈祷も致しました。(お梵上げとは、古いお札を焼くのでありますが、地面に新聞紙一枚を敷いて、半紙にくるんだお守り札を置き、枯れ松葉を被せ、更に古い木札を三角に積上げること一米位、それに火を放ち、その回りを祈祷しながら回って燃えつきた頃、最後の火にかき分けて地面から拾い上げる半紙にくるんだお守りが寸分の焦げもないのであります。)

 すると、火の中から取り出した紙片も引きさき、すかして見たりしました。

 「どうしてこの紙が燃えないのか?何か塗ってあるのか?」

 と不思議がって、その紙片も分析のため持ち帰ったのであります。もちろん、ご存知のように普通の紙であり、何の細工もありません。それが祈祷の力であることが判かったであろうか?そんな訳で、終ったのが夕方薄暗くなった頃で、一行が帰る時に

 「後日、再びこの寺に来たいと思います」

 と言うので私は、

 「今度来る時は、アメリカ本土から百人以上の方々を信徒として連れて来て下さい。そうでなければこの様な祈祷はして上げられません。」

 と笑いながら申し上げますと、

 「わかりました」

 と言って帰って行ったのであります。 

 東日教上人は昭和四十六年十一月二十八日に入滅されました。墓誌を付記します。

   墓  誌

東上人ハ北海道ニ生レテ六歳ニシテ

得度幼ニシテ非凡 私カ二七面山ニ入り苦修練シ霊威ヲ感得ス

後下山シテ各地ニ教会ヲ設立スルヤ

随喜ノ声四隣ニ満チ徳化東西ニ洽シ

昭和十九年当山ノ法澄ヲツグヤ弘宣

流布ノ根本道場タラシメントシテ本堂

庫裡並ニ臣瀑ヲ造築シ別ニ見延七面山

麓ニ願満弁才天堂ヲ興ス

皆帰妙法ノ法鼓東西ニ充ツ

奚ニ推サレテ正中山法華経寺

第百三十一世ニ加暦 此ノ間中山妙宗

理事 財務部長 併セテ加行所伝師トナリ

為法為国 縦横ニ活躍セラレタルモ

タマタマ病ヲエテ昭和四十六年十一月二十

八日遷セラル

時に世寿六十有四

奥之院中興大僧正 智広院日教上人

正中山百三十一世加暦

覚えている限り詳しく東日教上人の法話を、日記帳から拾ってみました。