115.「人々を戦争へと駆り立てたことは仏教の歴史にはない」  高橋俊隆

毎日、領土問題で中国や韓国、それに台湾が加わって、一斉に日本を攻撃している映像がテレビや新聞にのっています。現実にはもっと過激な海上の紛争が起こっているのでしょう。中国や韓国のテレビ映像のほうが日本よりも早く、的確に報道しています。中国に起きた暴動で日本の自動車会社などが焼き討ちされ、販売店などの窓ガラスは割られ、店内をメチャメチャにして略奪していきました。高級品を盗んでいき、奇声をあげている人が大きく映し出されました。驚いたことは、その暴動デモにバイト代が出ていたということです。裏工作があったということです。しかも、参加している中に若者が大勢いました。この暴動が政府の内政的なことに繋がるのは、毛沢東の写真を掲げてデモしているところに見えました。

中国では日本との戦争をのぞむ声が半数ほどに上がりました。戦争を想定しての暴挙ほど恐ろしいことはありません。日本人への恨みというのは表面的なもので、植民地的な領土を略奪し、自国の繁栄をのぞむという構図が見えます。しかし、戦争は毎日、世界のどこかで起きているのは事実です。理性だけで物事が治まらないのは昔から同じです。利益を共有し互いに尊敬をすることが打開策に思われます。過去の賢王というような人は、まず相手を敬い自己の欲望を捨てることから始まっています。これからの人類は地球をどう守っていくか、ということに協力しなければなりません。私たちの住むこの場所が自然の猛威に破戒されていく時が迫っていると、科学者は指摘しています。地球の環境が変わっているのです。そのため病原菌も増大しています。食料も生産できない地域がでています。皮膚がんもふえています。

先日、身延山大学の池上要靖教授から『アジアの仏教と神々』という本をお送りいただきました。その表紙に

仏教がその歴史において、どのような意種の宗教・文化と接しても
「戦火を交えることなく」相手を理解しょうとしてきた。
教典を高く掲げながら、人々を戦争へと駆り立てたことは、
不孝な例外を除いて、仏教の歴史にはない。

と書いてありました。私たち日本人は民俗的にみますとアジア人です。みのもんたさんが常に朝ズバで、同じ漢字を使い、漢字が通じる人間どうしなのだから、意志を通じあわせよう、と友好的な解決を叫んでいます。日蓮聖人が説いた『立正安国論』から、私は人間の理性は信仰により保たれるものだと思いました。法華経は人の罪、為政者の罪、国の罪を説いています。そして、何よりもこの私たちの住んでいるところが浄土であることを説いています。輪廻転生の罪科と福徳を説いています。このままでは、いずれレッドカードが示され地獄へ落ちることになります。

 なにもできないことは、ありません。毎日、世界の平和を祈ってお題目をお唱えしましょう。お題目の声が世界中に充満すれば仏国土になります。  合掌