118.心を伝えるお題目の声

相手の心がわかるのは、言葉をかけて話しかけてくれることです。黙っていても目を見ればわかることもあります。しかし、歌詞に感動するように、言葉はより深く感情を伝えるものです。日蓮聖人がたくさんの手紙を書かれたのも、気持ちを伝えたかったからだと思います。

そのお手紙に書かれたことは、お題目を唱え法華経の信仰をすることでした。お題目は「南無妙法蓮華経」のことです。法華経の教を信じ法華経を絶やさない修行を行うことを誓います。これが法華経の信仰だと思います。自身にあっては人格を高め、社会に貢献することです。自身の罪を消滅していくことも大事です。寿量品に「本心を失った子」という文があります。これは信仰の大事なことを忘れていることを表しています。譬喩品にも家が火事で燃えているのに、それに気づかずに遊び戯れているのと同じことと説かれています。

方便品のなかに、如是相・如是性・如是体〜、という文があります。力・作・因・縁・果・報・究竟等と続き、これを十如是といいます。私たちの肉体と精神が、どのようにして出来たのかを説いています。このなかに、因縁・果報という文がありますね。つまり、今の私の過去の因縁を知ることであり、現在の私の未来を知ることでもあります。

なにも言わなくても、仏壇にお花を供え茶菓を供える人もいれば、何度も言っても手も合わせない人もいます。それは、その人の過去の因縁を表しています。小さな物心もない子供でも、御宝前に向かって手を合わせる子もいます。過去の善い因縁を持って生まれたのです。過去にも法華経の信仰をした人であることがわかります。

お題目を唱えれば過去の罪障を消滅し、病気や災難から逃れることができると、法華経に説かれています。日蓮聖人は命がけでお題目を唱えることを、重ね重ね説いています。声を出してお題目を唱え、お経も読み、自身や先祖のみならず、なによりも日蓮聖人に感謝し、皆様の御本尊にご威光が勝ることを願って、ご信仰に励まれますことを願っています。