119.東日教上人と初対面                     高橋俊隆

始めてお会いしたのは、昭和44年のことでした。師匠に伴い奥之院にて、始めて尊顔を拝したのです。師匠からは御祈祷の大家であり、仙人のような人であると聞いていたので、かなり緊張しました。始めて声をかけられることだから、絶対にその言葉を忘れないようにと念じて対面しました。東日教上人は私というよりは師匠に向けて話をされていたという印象でした。今、理解できるようになったのは、提婆達多品の「給仕」ということです。

師匠も日蓮聖人の『身延山御書』をよく拝読するようにと申していました。とくに、国王が師匠の阿私仙に仕えた心がけと、それが仏になる道であるということでした。小入羽上人も常々、法華経の教を説く者は、たとえ卑しい者、畜生であっても、仏を敬うようにして聴聞しなければならないと教えていました。

『身延山御書』に、
「法華経を我得し事は薪こり菜つみ水くみつかへてぞえし。此歌を見に、今は我身につみしられて哀に覚えける也。実に仏になる道は師に仕るには不過」

お経には「情存妙法故身心無礙倦」と、国王の心中を説いています。これは、「文の心は、常に心に妙法を習んと存ずる間、身にも心にも仕れどもものうき事なしと云へり。如此習給ける法は即妙法蓮華経の五字也」

と日蓮聖人は解釈されています。心のなかには常に法華経の修行であるという信念があったということです。ですから、疑問を懐いたり、退転をすることがなかったのです。

 東日教上人の教や師匠の教えが身に積まされて理解できたのは最近のことでした。法華経の行者に休みはないというのが東日教上人の教です。また、言葉では無く視線から験者の有り様を学び取ることを示されていました。

 私は「臨終のことを習いて、後に他事を学ぶべし」という言葉が身に積まされます。それは、死者の姿を見ることがあるからです。死後の世界が生きている年数よりもかなり長く、そこにはお祖師さまを始め、大勢のお弟子さまがおられます。私がその近くに寄ることができるであろうかと思うからです。