121.東日教上人報恩記念碑建立

妙覚寺は東日教上人、日延大法尼の法脈をもちます。東日教上人の出自や師僧については、不明なところが多く、とくに師僧については東と名乗っていたことと、忍者の流れを汲んでいたということくらいです。その忍者というのもよくわかりません。ただ、日延大法尼の話では、ある雑誌に伊賀対甲賀の忍者という記事があり、そこに東日教上人が伊賀の代表として記事があったということです。実際に飛ぶ雀を長針で落としたり、畳返しを見たと言いますので、東日教上人を知っている人は、このことについては疑うことはないと思います。私も常人ではない感覚をもっています。おそらく、隠密的な役目をもった師僧だったのでしょう。自分の身分などは隠して、東北地方を行脚されてたのでしょうか。時代は幕末から明治になっていた時ですから、弟子の東日教上人を正式な僧侶の道を歩ませたのでしょう。名残は東という姓を継がせたことです。

祈祷の大家と言われるように、感応の力は群を抜いていました。日常の生活をみますと、やはり、修験者の流れを汲むことがわかります。忍者が使う水遁の術、火遁の術という遁術五遁三十法と呼ばれ、天遁十法・地遁十法・人遁十法の計三十の術がありますが、修験道や陰陽道と関連しています。いわば、これらを駆使できた天狗と言われた人が忍者でもあったのです。

このたび、東日教上人と縁のある余市に、報恩の石碑を建立でき、在りし日の東日教上人を偲び、幾分でも恩徳に報いることができたと思います。今年の四月四日に東日教上人の夢を見ました。御前様がニコット笑って、私を見ているお顔を見て、なぜか私の目に涙が出て来た夢です。立派な石碑が建立されて一安心し、しみじみと日延大法尼と御前さまを邂逅したとき、その夢を見たことを思い出しました。忘れてはならないと書き付けたメモを見て、新たに感慨を深くしました。御前様はその時点に石碑が建立されることを予知されたのでしょう。その期待に応じることができたことも、私の喜びです。石碑のお題目が四海帰妙の祖願に達せられるようにと思っています。