123.身延の沢と修験者                       高橋俊隆

私の書いた本を友人や諸先生、近辺の青年僧にお送りして、専門に勉強をされている方、熱心に布教をされているかたから、励ましのお手紙やお電話をいただいています。私にとってはとても励みになります。三部で終わるところが6部になるのも、励ましの言葉があったからです。少しでもお役に立てると思うからです。

今は、日蓮聖人が身延山に入ってからを書いています。第4部は身延山の入山を綴ります。ところが、身延山と七面山のことを調べていて、とても興味のある伝説を知りました。一つは身延山の入り口に狐宿という村があり、その付近にお塔林(とうばやし)と呼ばれた場所があったことです。長福寺(ちゃんぷくじ)という真言宗の寺があったという口碑です。しかし、この寺は確認されていません。言い伝えだけです。

奈良時代に役行者という山岳修行者がいました。のちに、平安・鎌倉時代になり修験道が盛んになります。神道の神々を祀る修行者もいます。道教の教えにより仙人になろうとする修行者など、日本の宗教は多岐にわたって発展しました。

身延山・七面山にも、この影響があったのです。顕著なのは七面山です。古い昔から村人たちが信仰してきた民族信仰が最初です。それに、道教の神仙思想がはいり、神道がはいり、仏教がはいります。お互いに影響し融合して、七面山の信仰は展開します。落ちついたのは江戸時代のはじめころになります。それは、日蓮宗の身延山が土地の所有者となったことです。ここで、一気に法華経と日蓮聖人の教えによる法華信仰を確立したのです。

しかし、それまでの信仰の歴史がありますので、神仏混交のまま今日に至りました。これは、古くからの信仰を大事に保存していることにもなります。その神々として祀られ、縁のあると思われるのは、池大神・影向石・役行者・摩尼珠嶺・一の池の竜神などです。また、身延山の山伝いに妙法二神といわれる、太郎・次郎という人名があります。ご草庵をさらに登っていくと七面山にでます。この入り口に鳥居があり妙石坊があります。ここが、昔の七面山の入口になっています。この昔というのは日蓮聖人いぜんから、そうなっていたと思われます。小室妙法寺も修験道の寺で日蓮聖人に帰依して日蓮宗となっています。身延山・七面山は神々が棲む霊地といえるのでしょう。

私はご草庵の場所は、かつて修験者たちが行場とした道場であったのではないかと思いました。第4部をぜひともお読み頂ければと思います。