125. 御遺文を拝読する心がけ                  高橋俊隆

日蓮聖人のお手紙を集めた本を、御遺文といいます。
手紙や論文などを、消息とか著述といいます。著述はおもに五大部といわれるもので、『立正安国論』や『観心本尊抄』などです。現在、国宝になっています。

お手紙は、だいたいがご返事になります。
昔はご供養の金銭・米・塩・芋・海藻などが、人が持てない者は、馬や牛に積んで運ばれました。施主の荷物が無事に全部、届いたのかを確認するため、受領証を必要としました。ですから、荷物を運ぶ片道と、その受け取りを届ける往復の料金が必要でした。もちろん、往復を省けば料金は安くなります。しかし、電話がない時代ですから、ご返事が唯一の楽しみになるのです。それも一週間は待つのでしょう。川が氾濫したり、土砂崩れがあると遅れます。

そのご返事に供物を書き込み、お礼を申し上げます。そして、その供養に関しての法話を書かれます。日蓮聖人のお手紙は大事にされ現在、450以上の書状が保存されています。

その中には、むずかしい教学も書かれています。しかも、漢文で書かれ長文なのもたくさんあります。とくに身延入山により量がふえます。手紙の文章も長くなります。ゆとりがでたのでしょう。その中には、同じ教えが多数の信徒に宛てて教えています。その信徒の識字の能力や、理解の浅深、信仰の度会によってかき分けられます。日蓮聖人は細やかに教えられた人という印象を強くもちました。

先日、お彼岸のお手伝いの婦人会のメンバーと、本堂で昼食をとり、歓談しました。私が十六歳のとき母に連れられてお寺にきたこと。そのとき、浄行さんが私の方に首を曲げてニコッとしたこと。尼さんがお婆ちゃんの部家から居間にきて、サッと座って私をニコニコして見たとき、尼さんの黒の改良着と白衣の首のところから後光がさして、尼さんの顔回りがまぶしくて見えなくなったことなど。私はこれまで、そういう話はほとんどしていなかったことに気づきました。

日蓮聖人は大勢の信徒に、同じことでも親切に熱心に教えられた人でした
メールやライン、コピーもない時代ですから、お弟子さんも信徒も書き写して保存され、ほかの信徒と共用されたのです。

そういう日蓮聖人のお心を大切にして、御遺文を拝読しましょう。