130.祈りが叶うには                     高橋俊隆

日蓮聖人はすでに死去された人を二人を蘇生されています。一人は母親でもう一人は伊豆流罪の配所の地頭伊東佑光です。

伊東佑光が日蓮聖人に病悩を治癒されたことは『船守弥三郎許御書』に述べています。また、日照上人に宛てた『弁殿御消息』には、死去したのを蘇生させたと述べています。この伊東佑光は信濃守として本領の日向にいたときに、明性房の説諭を容れずに念仏者・真言師となって没した(54歳)と述べています。死去の理由は信仰を捨てたことにあるとして戒めています。

同じ日昭上人に宛てた手紙に、鎌倉にいた信者の河辺氏達4人は、日蓮聖人の信徒と思うので頭脳を砕くほど、祈願が叶うように祈っているが、その験がないのは翻心している者がいると指摘します。

「しかるになづき(頭脳)をくだきていの(祈)るに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有とをぼへ候ぞ。をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえ(舎)をつくるなり。此由を四人にかたらせ給べし」

日蓮聖人がどんなに祈っても、その効験がないのはこの4人の中に信仰を捨てた人がいる証拠とします。信心を失った者を祈っても、水の上で火を焚き空中に家を建てるようなもので、祈願が成就しないと述べます。このことを4人に言い聞かせるようにと指導されたのです。

 日蓮聖人がこのように述べているように、双方の信仰が共鳴しないと成就しないと言うことです。お寺で厄除けや神体祈祷、車の交通安全などの祈願をされても、皆さんの持続した信仰も大事なことです。厄除けは差別無くご祈祷をします。ただし、日延大法尼は皆さんの信心により、応分の力しか受けとれない者もいると言いました。この教えは日蓮聖人が日昭上人に言い伝えたことと同じです。

 日蓮聖人の教えを学ぶことは、誤った方向へ進み日蓮聖人から離れて行くことを調整することです。自分なりの解釈には誤りがありますので、常に反省をしながら信仰をされることを祈っています。