133.陰徳(いんとく)                   高橋俊隆

日蓮聖人は「功徳」の意味の説明に、「隠れての功ありて、現れての徳がある」とのべています。功徳の功とは、成し遂げた仕事や功績。また、努力蓄積をいいます。仏教においては善意による奉仕のことで、純真に神仏やお祖師さまに奉仕することですから、功名などを求めるものではありません。お祖師さまに心が通じることこそが喜びなのです。

「母の子を捨てざるがごとし」という御遺文があります。お祖師様さまは、母親は赤子のために命を捨てることもあるとのべています。胎内に10ヶ月という長い間、身を守り。生まれると、すぐに赤子の身を清めて抱きかかえます。お祖師様さまは、10ヶ月の間、自分を苦しめたのだから恨んでもよいのに、身の不浄を清め身の世話をする、それが母親の愛とのべています。そのとき母親は赤子にお礼を言ってもらおうとか、感謝の言葉を言ってほしいとは思いません。また、他人にこれだけ尽くしていると自慢することはないでしょう。このように報酬を求めない心は、お祖師様にご給仕する純真な心と通じると思います。

 私の師匠は「お祖師様に通じることが大事」と常に言っていました。ですから、仏具を奉納されても、奉納者の名前は記入しませんでした。お祖師様がわかって下されば良いことなのです。自慢することこそが慢心なのです。何のために奉納したのかが大事だからです。古い仏具品は記名されていないものが、ほとんどです。昔の人は奥ゆかしいですね。ただし、例外はあります。寺の中心となる仏像は年月日などが記入されます。また、先祖の供養などには霊位の法号を記入します。

 陰徳を積むことは回向と同じで、自分の身の廻りに助けとなって還ってくるものです。報酬を求めず人に親切にすることこそが菩薩行となります。ご精進下さい。