137.心を込めて      高橋俊隆

 今年も8月に入りました。早いなぁと思っている人は多いと思います。尼さんがおられた時はダイコンの種を植えている頃かと思います天地返しの土興しから始めます。害虫の駆除や雑草が生えないようにし、天日に当てることにより土壌の病原菌を退治するわけです。畝を造り種蒔きをします。畑が広いので何日もかかります。収穫するまで手数がかかります。お盆中は雨が降らないので、水をくむ作業がありました。

 仕事を見れば性格がわかる、と言った尼さんの言葉が忘れられません。一生懸命にやらなければと思ったのが、尼さんの教えの意図するところだったのです。ダイコンのできあがりを見て、種を蒔いた人の心もわかると言いますので、心を込めて蒔くのです。

 これは、今になって、僧侶としての心構えを教えていたとわかるのです。心がこもらないお経はダメだということです。見た目は一生懸命に唱えているように見えても、お祖師さまに通じないのです。ですから、御本尊にも、ご先祖にも伝わらないのです。お参りに限らず、心がこもっていないなぁと思うことは、皆さんもあることと思います。

 お盆はご先祖さまがお経の功徳を楽しみにして帰ってきます。誕生日にはお祝いをするように、お盆はお供物を供えているだろうと思って子供の所に帰ってきます。形だけではなく、心をこめて迎えて下さい。

 死語の浄土や霊魂を信じるか、というアンケートを毎年、生命保険会社が行っています。60代以上の人は信じないという回答が多く、10代20代の若者の方が信じるという回答結果が出ています。とくに、東日本大震災のあとは、死後の世界や霊魂を信じる人が顕著に増え、今もふえ続けています。その理由は霊を目の当たりに見るからです。

 年々、葬儀不要とか、散骨というかけ声が多くなっていますが、実際はそれほど増えていません。葬儀は死者が浄土に行けるようにするものです。お経の力が分からなくなっているから、自分勝手なことを言うのです。死後の浄土へ行ける功徳を積むことが大事です。食べ物に栄養があるものとないもの、薬に効能があるものとないものがあるように、お経もそのとおりです。

 心がないお経は効能もありません。心をこめてご先祖さまをお迎えしましょう。