138.母の信仰                           高橋俊隆

 私の法華経信仰の初めは、母の信仰にあったと思います。母は体が弱く、私が小学生のときも満足に食事したくができないほどでした。なにもできずに、ただじっと家にいるような、横になっているような記憶です。

病院に行っても治癒しないので、精神的な病気と思われました。そのような苦しい体ですので、いろいろな神仏を頼ったようです。私の記憶にも2か所の俗にいう拝みやさんに行ってます。そのうえに、交通事故で重度のムチ打ちになります。

その母が元気になったのです。話を聞きますとお寺に行って治ったというのです。一度、お寺に一緒に行こうというので、今までは、また拝み屋さんかなぁと思っていましたが、逆にどのような所か気になりました。寺というのも、なにか馴染まない気がしましたが、ちょうど、私も将来の仕事に悩んでいたときで、何もしていないこともあって、お寺に行くことにしたのです。その寺とは妙覚寺のことです。

母の病気の原因は死霊にありました。若くして亡くなった姉の霊が救けを求めていたのです。母の唱題行が始まります。一日、2時間の「行」です。長年苦しんできただけに、2時間のお題目行は辛くなかったといいます。かえって嬉しくて涙が出たと言います。

そのような母ですから、先祖の供養、畜生の供養はかかさず行っています。誰よりも先祖の供養が大事なことを身をもって知っているので、春、秋、お盆には必ずお塔婆を建てて供養することを檀家の皆様に言っていました。2,3日ご飯が食べれなくても、お塔婆を建てて供養することが大事なことを、誰よりも知っているので、そのような苦しみを持たないようにと思ったのでしょう。

ですから、私の信仰は母の病気平癒に驚いたことから始まったのです。お題目を唱えたりお経を読むことも、何の抵抗もありませんでした。信仰は頭の中で考えることではなく、納得するものなのです。そうでなければ盤石な信仰はできません。「不惜身命」という、ゆるぎない信仰心を持つことはできません。

大事なことは、神仏に背くことは永遠というほど許されないという、覚悟をもつことと思います。自分の心のなかにも、罪業としても残るからです。きびしい信心をすることにより、神仏に近づくことができる、ということに異論を唱える人はいないと思います。                  合掌