139.Aちゃんの思い出                          高橋俊隆

妙覚寺は千葉県市川市の若宮というところにある、奥之院の東日教上人を開基としています。ここは日蓮聖人が生きていたときから、あるところで、富木常忍さんという人が住んでいたところです。富木常忍さんは出家して日常となのります。日蓮聖人の信徒の代表となった人です。『立正安国論』や『観心本尊抄』など、国宝となっている著述など、たくさんの書状(お手紙)を保管し整理された人です。現在、聖教殿(しょうぎょうでん)に納められています。中山の大本山法華経寺の近くにありますので、正中山(しょうちゅうざん)奥之院として知られています。

御前さま(東日教上人)がおられたときに、Aちゃんと呼ばれる人が給仕していました。体格の立派な男性で、皆がAちゃんと呼ぶので私もAちゃんと呼んでいましたが、私より年上の人でした。

 いつも竹箒をもって掃除している印象がつよく残っています。幼いころの熱病がもとで知能がそのままでした。日常の会話などは普通でしたが、社会に出て一人前になることは無理のようでした。尼さんの顔をみると喜んで、なんでも話しているのが可愛らしくもあり、かわいそうにも感じました。アンパンを喜んで食べていました。本人は家に帰りたかったのです。お金がないわけではなく、お金をもたせると直ぐに物を買いにいき、すぐに使ってしまうので、こちらで管理していたのです。

ありがたいなぁと思ったのは親の愛情でした。いろいろ考えた末に奥之院に預けたわけです。仏道修行は厳しいけれど、本人の罪障消滅と功徳を積むことができます。父親が亡くなったあとも、Aちゃんのためにたくさんの財産を残してあげました。

私は法華経と日蓮聖人のことに気づきました。

 寿量品のなかに、医者である父親が、毒に侵されて正気を失った子供のために良薬を残した、という譬えが説かれています。釈尊は2000年後には世の中も人心も悪くなると説きました。神仏を崇めず、先祖も供養しない時代になると説きました。末法時代といいます。

 その末法の人たちが苦しみから救われるために、法華経を説かれたと日蓮聖人はのべています。Aちゃんを思う親の心を考えたとき、スケールは違いますが、釈尊も同じように私たちのことを思っておられたのだろうなと思ったのです。

 日蓮聖人は釈尊の久遠の弟子である、上行菩薩が生まれ変わった人です。法華経にそのことが説かれているのです。釈尊の永遠の命が感じられます。それは、私たちも永遠の生命を持っていることです。ともに信仰に励むことが大事です。                                合掌