高橋俊�髓�　『日蓮聖人の歩みと教え〈鎌倉期〉』序文　　　渡邊寶陽

　著者は、幼くして日蓮聖人の教えに触れ、中学生時代に出家。上京して、苦しい修行生活のなかで中学校・高等学校の業を卒え、立正大学仏教学部宗学科の二部｛夜間部｝に進学。必死に日蓮聖人の教学研鑽に励んだ真摯な人柄である。学部を卒業した後、さらに立正大学大学院仏教学専攻修士課程から博士課程に進んだ篤学の士であるが、願いは札幌市山中に師匠が創建した「妙覚寺」を後継する一念にあった。

　おそらく著者の師匠は、人生の苦悩に疲れ、必死に生きる道を求めた多くの人びとを化導する毎日であったのではないかと推測する。したがって、当然、著者もそうした僧行を実践する毎日であったろうと思われるが、師匠の遷化後、住職として、「円山妙覚寺御遺文勉強会」を毎月開催し、その都度、自ら入力した論攷に沿って、勉強会をつづけたと言う。実に六百頁になんなんとする『日蓮聖人の歩みと教え』第一部から第四部までが、愚生の許にも届けられた。論文というものは、おおよそ、研究者同士のやりとりに終わるのが通常のことであるが、著者は同信の方々と共に勉強することを指針として、決して自らの業績にしようとは考えなかったことが窺える。

　愚生がたまたま日蓮宗勧学院長であったことから、日蓮宗の学階論文として提出することを勧め、その願いが果たされたところ、勧学職として審査にあたった小松邦彰名誉教授は、実に克明に問題点を指摘し、面接は二時間半に及んだ。その後も、著者は学生時代に教えを受けた小松教授の指摘を真剣に受けとめ、さらにその後も詳細な助言を得たようである。その姿勢に感動し、愚生はあらためて著者に本著をただ同信の間にとどめることなく、書店からの出版を勧めたところ、このたびの出版となった次第である。

　著者は小松教授の指導にしたがい、さらに山喜房仏書林社主の著書としての適切な分量についての助言を受け容れ、元来のプリント版の第一部・第二部・第三部の原稿をブラッシュ・アップして、『日蓮聖人の歩みと教え〈鎌倉編〉』『同〈佐渡編〉』として纏めた。本書は、そのうちの〈鎌倉編〉である。

　曾て、姉崎正治先生の『法華経の行者日蓮』は、ドイツ留学時に留学先の教授からの示唆を受け、その後、米国での｛日本文化講座｝の講師の一人として活躍する間に、ひそかに講じた内容を、大正五年に、米国のハーバード大学出版部から英文「予言者日蓮」と、日本の博文館からの『法華経の行者日蓮』の両著を同年に出版した。『法華経の行者日蓮』は一世を風靡し、現在は講談社学術文庫に収められている。実は初版出版の後、山川智応居士が詳細な検討を加えて、問題点を指摘したという。そのことは一回に終わることなく、姉崎博士は版を重ねる毎に山川博士の言を咀嚼して改訂を加えたと聞く。                 

　その後、山川智応博士が『日蓮聖人伝十講』｛新潮社｝を刊行して、紙価の洛陽を高め、さらにまた馬田行啓先生は、『日蓮聖人の宗教と思想』｛大東出版社｝を世に問うている。

　これらに対して、戦後の日蓮研究はすさまじく、数多くの著書や論文が発表された。本書が触れる高木　豊著『日蓮ー行動と思想』｛評論社。日本人の行動と思想シリーズ｝が思い浮かぶが、高木教授には既に高著『日蓮とその門弟』｛弘文堂｝がある。同書は名声を集め、斯学研究に多大な影響をあたえた。高木教授の多数の関係論文についてはあらためて言うまでもない。ともあれ、第二次大戦後、実に多くの著者による無数の論攷が発表されていることは周知の事実であるが、紙幅の関係もあってここでは詳しく触れない。

  なお、その背景には、立正大学日蓮教学研究所編・身延山久遠寺発行にかかる『昭和定本日蓮聖人遺文』全四巻｛昭和二十七年〜昭和三十四年｝の刊行があり、また立正安国会編纂にかかる『日蓮大聖人御真蹟』｛全五函｝等の基本文献整備があり、これらをふまえての『日蓮聖人真蹟集成』｛全十巻・法蔵館｝などがある。

　著者は、これらの著書・論文を踏破して、あらためて「日蓮聖人の歩みと教え」を学びつづけた。言わば、すべての研究・研鑽を自己の一身において統括する壮大な試みである。

　前述の通り、本書は『日蓮聖人の歩みと教え〈鎌倉編〉』で、言わば前篇であり、本書と同時に『日蓮聖人の歩みと教え〈佐渡編〉』が刊行される。

　本書の詳細については、本書を精読していただきたいが、〈鎌倉編〉全体は六章から成っている。

   第一章　　立教開宗の前後

   第二章    鎌倉進出

　 第三章    『立正安国論』を奏進

   第四章　　伊豆流罪から小松原法難

   第五章　　蒙古国書到来から竜口法首座

   第六章　　竜口法難

  章名を見ただけでは、通俗的な啓蒙書の感じを受けるかも知れないが、先述の通り、実は多くの論攷に虚心坦懐に学ぶ姿勢で貫かれており、いちいち、研究者・研鑽者の意見に立ち向かい、それを咀嚼した上で、日蓮聖人の宗教に迫ろうとする論著である。

　本書が、『〈佐渡編〉』とともに、平成の「日蓮聖人研究」の基礎的文献として認識されるであろうことを願う次第である。

　真摯な日蓮聖人讃仰に生きる著者の言にしたがい、序文とするものである。

平成二十七年十月十三日

                                立正大学名誉教授　　　渡邊　　寶陽