144. つづける努力                                   高橋俊隆

    「学なりがたし」

若いときに、京都相国寺の観中中諦の作とされる少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」。また、藤原義孝(『和漢朗詠集』)の、「朝には紅顔あって世路に誇れども、暮には白骨となって郊原に朽ちぬ」。この言葉にふかく感じたものがありました。

 これは、まぎれもなく「無常」を説いています。世の中は無常、人生も無常、なにがあるかわからない。人の一生というのも、あっと過ぎ去ってしまうものであるから、一日一日を大事にしなければならないと思いました。

 そう思うのは、なんとなく長生きできないと感じていたからです。短い命に、なにも残せずに終わってしまうのか、自分の人生とはなんだろう、死んだらすべてが消えてしまうのだろうか。などと思った時期がありました。そうしたところ、日蓮聖人の言葉に、 

「人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし。風の前の露なを譬えにあらず、賢きもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、さればまず臨終の事を習うて後に他事を習うべし

 悔いのない人生。自分がなっとくできる生き方はなにか?

 法華経は人の魂は永遠にあると説いていました。神や仏や菩薩という人たちの永遠の存在を説いています。私が信仰にめざめた時でした。たとえ短い人生でも未来につなげる生き方ができると思ったのです。

 それいらい、日蓮聖人の御遺文を学んできました。やっと、自分のなかでは一つ目の目標にいたることができそうです。しかし、50年ちかくかかってしまいました。頭の回転はどんどん鈍ってきました。根気もつづかなく疲れるようになりました。今、私の脳をささえているのは、若いときからたえず学んできた努力と思います。

 「川の水がたえまなく流れるように、毎日、すこしでも努力すること」

 日蓮聖人の言葉であり、師匠の教えでした。水行もかかさず続けています。師匠の言われたとおり行を積んでいます。方向をまちがわないで、歩いてこれたとホッとするのも、師匠のおかげと思います。この数年は私にとって努力が報われたよい年でした。なによりもお祖師さまに護られてきたと思っています。また、檀家のみなさまに感謝し、報恩をと思っています。