146. 東日教上人 心を伝える                        高橋俊隆

   東日教上人  以心伝授                  高橋俊隆

ご祈祷は理屈ではありません。たとえば、どんなに名刀であっても、下手な者が使えば、切るどころか刃がおれてしまうことがあります。名馬は騎手を選ぶといいます。ご祈祷もなにごとも、それをマスターするため努力が必要なのです。

私が東日教上人とふれ合いができたのは、十代の短い期間でした。なにかを教えてもらおうと思いおそばに近づくのですが、目は細くメガネの奥にあります。口元は白く長い髭を蓄えていましたので分かりません。歩く姿を追って着いていくのが精一杯です。ゆっくりと歩いているように見えても、ついて歩くときは早足でなければ着いていけません。あるとき庫裏の玄関から車まで送るとき、ハアハアと息をして着いていきますと、ふと立ち止まりました。忘れ物をされたのかと思いました。なんとなく重く威圧されていましたら、石畳よりはずれて砂利道に進んで歩き出しました。

私は砂利道を歩いていましたので、歩くのが遅いのは砂利で足が取られているからだと思っていました。それが、東日教上人が砂利道を歩いても早さはかわりません。しかも砂利の音がしないのです。私は着いていくため思わず石畳を歩いてしまいました。申しわけないのと、着いていけない思いでくじけていましたら、ニコツと笑ってお車に乗られました。

奥の院にいるお弟子さんたちも、「御前さまの足音を聞いたことがない」といいます。本山の法華経寺から奥の院の開基の富木日常上人のご命日にお伺いします。大勢でお経に行きます。ごちそうがたくさんでます。そのとき足音ではなく廊下をすり足でくる気配を感じました。ななめ後ろをみると、そっと空けたふすまに東日教上人の目がありました。手をそっとおさえて私にそのまま座っているようにと指示されました。

たわいもないようなことですが、私には今でも忘れられない感覚なのです。ふつうには気配というのでしょう。忍者として育った人ですから足音や気配を消すのです。でも、その気配を私に伝えて下さったのです。亡くなった人の霊も同じような気配があります。生きている人の気配も同じです。

言葉では教えられないことがあります。経験は言葉を越えたものです。今でも東日教上人のお写真を見てご祈祷について教えていただけるのは、この感覚を私に伝えたのだと思います。毎日日夜、名刀を磨き使いこなせるように精進しなければと思うのです。「感応をみがくのなら夜寝ないことだ」と言われた言葉が私から離れません。