147.日蓮聖人の家紋(井桁に橘)                        高橋俊隆

○貫名氏の系図                                  

藤原鎌足―不比等―房前―眞楯―内麿―冬嗣―良房(良門)―利世―共良―良春―良宗―共資―共保

【井伊氏】                          
共保―共宗・・・赤佐盛直――井伊良直・・・・・・ 十代目が直虎
              赤佐俊直
                     貫名政直―行直―重実―重忠
                                  石野直友(六郎)

  井伊家は赤佐家・井伊家と分類されました。貫名重実の弟は石野氏を名のります。
     

  重直(太郎早世) 

              ―貫名重政(貫名に帰る妙日寺)

             (早世)

         ―重仲 (浄顕房)

 ―貫名重忠(五郎)――日蓮聖人

             ―藤平重友

  ―小林実信――男金実長――日向上人

   ―(ぬきなの御局 ) 
       貫名氏と深い関係のある女性で、下総に所領をもっていました。
       日蓮聖人の鎌倉遊学などに支援されたと思われます。
 
 重忠の兄弟は3人。兄の重直(太郎)は早世しました。それで重忠が貫名を名のります。日蓮聖人の兄弟は5人。日蓮聖人は4番目になるましゅs。

                

 井伊氏は井伊共保を始祖とし、平安時代から続く名家です。

「井伊共保出生の井戸」 

一〇一〇年(寛弘七年)の元旦に遠江国(とおとうみのくに)・井伊谷(いいのや)の八幡宮神主が神井戸の側に捨てられていた男の赤ん坊を見つけます。その子こそ井伊氏の始祖・共保であったという逸話が伝えられています。その赤ん坊のところに橘の木が添えてあったことから、井桁に橘の入った井伊家の家紋となりました。

 「井伊共保出生の井戸」呼ばれ井伊氏発祥の地として大切に保存されています。
 井桁は井伊氏の家紋、そこに橘が入るのは何を意味しているのでしょうか。

   橘紋の由来  
 橘紋の由来は橘氏、橘氏一族が使用していたことに始まります。井伊氏の祖である共保は、井戸から生まれたといわれる人物で生まれたときに手に橘を持っていたことから井桁に橘を紋とするようになったとも言われています。
 民族学などから考えますと、この子どもの出自が橘氏であったと推測できます。

(四姓)「源平藤橘」げんぺいとうきつ 皇別氏族

橘 逸勢(たちばな の はやなり)延暦二三年(八〇四年)に最澄・空海らと共に遣唐使としてに渡る。書に秀で空海嵯峨天皇と共に三筆と称される。

 日蓮聖人は井伊氏の一族出身 日蓮宗にも橘紋が使用されているのは、日蓮聖人が井伊氏の一族(分家の貫名家)だからだとも伝えられています。