148.上の土地を買いました                         高橋俊隆

 新たに本堂などを建設する計画のなかで、問題となっていたのは、境内地が少ないことでした。円山は風致地区になっているため、家屋などを建てるときは高さや容積などに制約があります。今までと同じ部屋数にするためには坪数が足りなかったのです。今回、相川氏の土地136坪を買ったことにより、現状の建物と同じ坪数を確保することができました。これまでの図面を拡張して理想に近い図面ができると思います。

 相川氏の土地をお寺では「上の土地」と呼んでいました。尼さんがおられた当時から、上の土地があればいいねと言われた土地でした。山野光治さんや後藤留次郎さん、高子  勝さんたちが、何度も交渉を重ねてきました。いっとき、土地の一部を借りて畑を作ったことがあります。土留めの工事をしたばかりのときでしたので、スコップが立たないほどで、ツルハシで開墾した畑でした。土は石狩太美の腐葉土を数年かけて運んだものです。

 昭和56年に荒行の初行に入り、翌年成満してきたときに、荒行堂の本堂の板の間に敷いてある菰を持って帰りました。ゴザの荒いもので、行僧はその上に座って御経を読みます。百日間のものですから、たいそう御経が上がっています。殆どは先輩僧の人たちのものになりますが、なぜか、私に数枚くださる方がいたのです。病気で寝ている人の布団の下に引いて使うと病気が回復するといわれ、それで、一枚も残らずになくなったのがわかりました。

 私はその菰を今回買った上の土地にまいたのです。上の土地がお寺のものになりますようにと、当時、お寺にいた奥田悟君と一緒にまいたのです。長年、その希望は叶わないのかと思っていたところ、実に35年をへて成就しました。しかも、倍以上の土地の広さになりました。この上の土地は小入羽日才上人や尼さん、後藤留次郎さんたちの願いが籠もったものなのです。お寺の入り口の駐車場の土地など、お寺に住む者にしかわからない情が籠もったものです。将来も手放さないで頂きたいと願っています。