149.魂の存在                                   高橋俊隆

 日本人の意識から戦争の事実が消えかけている調査報告がありました。私も戦後生まれの者ですから、戦争のため被爆や攻撃を受けた経験はありません。

私の師匠は富山で米軍の空襲を経験しています。軍需工場だけではなく、一般の市街地にも空襲が行われ、大勢の人たちが死にました。家も焼かれ川も火の海だったといいます。地方都市への空襲としては最も被害が大きい富山大空襲といわれます。

これは昭和2081日から2日のことです。8月6日に世界で初めて原子爆弾が投下され、8月9日の長崎です。それ以降の原子爆弾は投下されていません。敗戦を宣言した815日を終戦記念日としています。

ヨーロッパ各地では今でも市民を巻き添えにしたテロが頻発しています。中近東なども未だに戦闘が続いています。北朝鮮も中距離弾道ミサイル4発をグアム島周辺に向けて発射する計画を立て、そのミサイルが日本の中国・四国地方の上空を通過すると発表しています。

これらの根本の原因は人間の欲望です。そして、人間が人間の欲望の犠牲になっているのです。人を殺傷することの罪の意識がないのです。罪の罪悪感に悩まされることもなく、死後の地獄へ堕ちるという死生観もないのです。

私は、この死後の生命という魂の存在を、もっと説かなければならないと思います。誰もが死を迎えるのは事実です。その死後については無関心になり、生きている限りの享楽しか考えないのです。死後にも自分の生命が存続されてあり、現世の行いにより来世の自分が決定されてくることを信じないからです。

仏道修行者は釈尊がすべての欲と財産を放棄して修行に入った原点に立ち帰らなければ、仏教の存続はないでしょう。法華経に「現世は安穏にして、後生は善処に生まれん」という文があります。

人間は生きている間は楽しく幸せに暮らし、死後においても極楽の善いところに行きたいという願いが根本にあります。法華経をそれを叶えるための教えが説かれています。法華経が最も優れた経典であることを認められているのはこのためです。皆さんもその法華経をお読みになり菩薩の行いをされますように願います。