160. 幸せになる                      高橋俊隆

北海道と命名されて150年。天皇皇后さまが来道されて、とても有り難いことです。私個人にとっても勇気を与えて頂いています。

150年と言いましても、日本の歴史のなかにおいては短いものです。神話が語り続けられている所は歴史が長く重みがあります。その重みは苦渋の積み重ねでもあります。どうしても人間は自己を中心とするから争いを起こします。簡単に言えば「欲」が勝ってしまうのです。

釈尊は皇子の生活を捨てて貧者の道に身を投じました。衣食住の欲を離れて、やっと富める長者になったと言われました。私達から見ますと、着る者は捨てられたボロ着で、食べるものは一日に一食の乞食によるものです。法を説きながら托鉢をされ、印度のすみずみまで行脚されたのです。

欲を離れるというのは、それほど私達は欲にまみれ、そして、欲が強いために苦しんでいると言う事で、それから解放されたときに、本当の幸せがあることを教えていると思います。賢人や名誉を持っていた人たちは、老齢になると小さな幸せを求めている気がします。財産や地位や名誉も、結局は一人になったときは何の役にも立たないのでしょう。お湯を沸かしていっぱいのお茶を飲むときに、幸せを感じる。人生は朝顔のようなもの。

「謹花一日の栄」と言って、むくげの花が朝開いて夕方にしぼむように、人生の栄華は短く儚いと詠います。

 まさに、仏教に説く無常です。小入羽日才上人は、よく、お寺は鍵をかけなくても大丈夫、なぜなら、盗られる物がないからだと言っていました。かえって泥棒さんが可哀想だとお金を置いていくと、皆で笑ったものです。

 日蓮聖人は蔵の宝よりも身の宝、身の宝よりも心の宝が大事と教えました。法華経の信者らしい毎日の生活を送りたいものです。お題目をお唱えして功徳を積みましょう。かならず幸せになります。