160. 法華経を説きお題目をお唱えしましょう                高橋俊隆

日蓮聖人がお生まれになったとき、裏庭にとつぜん、ぼこぼこと水が湧き出たといいます。また、庭につづいた海の波うちぎわが光り輝き、そこには目もさめるような蓮の花が浮かんでいたといいます。毎朝、太陽を拝む両親は善日麿と名をつけました。

不思議なことはたくさんあります。法華経はそのような力を秘めています。御経の力、それを経力(きょうりき)といいます。太陽が出ればまわりは明るくなります。暖かくなります。あたりまえのように思いますが、よく考えてみると不思議なことです。明るさを発揮するのは星や月もありますが、お釈迦さまは法華経は太陽のようなものと喩えました。

太陽は私達が生きていくのに大切なものです。なくてはならない大事なものです。それは誰でもが納得できることです。法華経も同じなのですが、そこまでは気がつかないのです。私達の命は自分の前世からの業に生かされています。それが定まったもの、決まった運命のようなものですが、それは変わることも事実です。善くもなれば悪くもなります。それは自分の行いによって変わります。

つねに不平や不満を口に出していた人がいました。自分に嫌気がさしたそうです。あるとき骨折をして入院し手術することになりました。いつもの不満が出て誰にでもあたり散らしていたのですが、小さな子供がたくさん入院して包帯をまいたり、点滴をしたり、その姿を見てかわいそうだと思ったとき、自分の不平や不満は何だったんだろうと思ったそうです。

人智では計りしれないものがあると気づきました。命の大切さを感じたとき、神仏の存在を感じたそうです。幸せとは他の人が喜ぶ姿を見ることだと思います。美味しいものを一人で食べても、結局は一時的な幸せではないでしょうか。親が子供のために育てている姿は美しいものです。子供を自分の欲に育てようとしたなら、結果は美しいものでもなく、幸せとならないと思います。

菩薩の行いは他の人の喜びを自分の喜びとします。地球は地・水・火の三災と七難に覆われてきました。悪心を持つ者が多くなったため大地が震えて、警告されるとお釈迦様は説いています。日蓮聖人が立正安国論に述べたのは、そのことなのです。今こそ日蓮聖人を慕い法華経を信仰する者が、積極的に法華経の信仰を説くときに至ったのです。

いっしょにお題目をお唱えしましょう。