165. 私の信条                                    高橋俊隆

 毎日、気になるのが天気。雪解けから春の楽しみも過ぎ、もう晩夏となりました。秋には山菜の楽しみが待っています。その先には雪が降り冬の到来です。毎年、毎年、そして、毎日、毎日、今日は暑い、寒い、風がある、ない。雨が降ってうれしい、憂鬱になるとか、そう言っている毎日です。しかし、それが生きている証しではないでしょうか。

 春夏秋冬の四季がめぐるように、人の一生も同じように思われます。私の季節は収穫の秋という感じです。これまでの自分の生きてきた努力が実ってきたと思って、若いころからの地道な努力を惜しまなくてよかったと思っています。そういう生き方は師匠に見習ったことです。

 師匠の尼さんは常にお経を口ずさんでおられました。これは、行者の習性と今は理解できます。東日教上人も御滝にて水行をされていました。それは、常に祈祷の行者としての行力を高めていたからです。ご祈祷をすることにより、自分の積んだ力を分け与えることになります。いかなることにも対処できるように力をつけることが、人を救い自分を守ることになります。一番、大事なことはお祖師さまに認められることです。また、本堂のお祖師さまに毎日、読経と給仕を行うことにより行力が得られるのです。

 日蓮聖人はご自身を法華経の行者と言われました。私たちと同じ肉体を持つのですから、生・老・病・死の四苦があります。それに、愛別離苦(あいべつりく。愛する者と別離すること)。怨憎会苦(おんぞうえく。怨み憎んでいる者に会うこと)。求不得苦(ぐふとっく。求める物が得られないこと)。五蘊盛苦ごうんじょうく。肉体と精神が思うようにならないこと)。

この四苦八苦を克服される努力をされたことが尊いと思います。それは、自分の欲を捨てて他人の幸せを第一にされたからです。きっと、粗末な衣服を着し、粗食に徹し、快適な生活ではなかったと思います。そこが、現在の人たちに忘れられていることであり、また、その理由が分からなくなっていることと思われます。

 日蓮聖人はご信者のかたには厳しいことは言いません。お題目をお唱えすること、法華経の信仰を伝えることを常に申しています。社会から法華経を失わない努力を教えています。子供や孫たちに法華経の信心を伝え、お寺を守ることが大事なことを諭していただきたいと願っています。