177.令和三年新春をむかえて         高橋俊隆

「闇(やみ)なれども、灯火(ともしび)入りぬれば明らかなり、濁水(じょくすい)にも月入りぬればすめり、明らかなること日月(にちげつ)にすぎんや、清きこと蓮華にまさるべきや、法華経と名(なづ)く、日蓮もまた日月と蓮華とのごとくなり」

 正月の元旦は「妙法蓮華経の妙の一字の祭り」と日蓮聖人は仰せです。暮れには大掃除をして一年の垢穢(くえ)を清めます。一年間を過ごしてきたことへの感謝でもあり、良いことばかりではないので、その災禍を乗り越える儀式です。ご幣束はその場所を清めて良いことがありますようにと、神仏の来臨を願うことです。しめ縄は悪い者を追い払う力があります。また、災害や疫病などの邪悪を縛り、障碍を防ぐ意味を持っています。

 コロナの驚異は増すばかりです。イタリヤやドイツ、フランスなど欧州連合加盟国はワクチン接種を始めており、アメリカは二回目の接種が始まっています。副作用の心配も大きいのですが、接種しないほうがリスク大と言います。

 まさに未曾有の事態が世界中を襲いました。仏教にはこういうことになることを抑止する教えを説いてきました。日蓮聖人の『立正安国論』もそうです。三災七難は疫病も入るのです。

 その責任は残念ながら私たちにあるのです。否定される人はいないと思います。簡単なことが出来ないのです。自分のことを考えて他人が不幸になってもいいと思うからです。釈尊は我欲を煩悩と説きました。自分のための欲は幸せにならないと説きました。

 翻って今、その道を説かなければならない僧侶はどうなのだろうと考えてしまいます。日蓮聖人は私たちに、どのように生きなさいと教えておられるのか。「不惜身命」。自分の命をお祖師さまに預けて人々のために生きているのだろうか。御布施をいただける「応供」(おうぐ)と言える生き方をしているのだろうか。

 新年を迎え日蓮聖人が常に反省されていた「罪」の自覚、「罪業」の自覚、そして、法華経の教に背き日蓮聖人の教に背反する「謗法による堕獄」(地獄の苦しみを受けること)を認識しなければならないと思うのです。

 法華経を信じ日蓮聖人を渇仰する私たちは「立正安国」を祈りましょう。ひたすら「南無妙法蓮華経」のお題目をお唱えすると、暗い闇に仏様の慈悲の光が明るく照らし、私たちの心の中に生きる力が湧きます。我欲に汚された世界が、蓮の花が泥の中から出て咲き、人の身も心も清浄になるように祈ることが私たち法華経の信者の努めです。    合掌