179.小さくても純金の仏となろう      高橋俊隆

 この願いは、私が僧侶になったとき自分に言い聞かせた言葉です。
 
 時間がかかっても本物になろうと思ったのです。メッキはいずれ偽物であることが分かります。そういうのはイヤですよね。

 それから50年以上の年月が過ぎました。

 今やっと米粒くらいの純金の仏の姿が見えてきたように思っています。とくに、コロナ禍のなかで人数を少なくして身体祈祷を行うことになったことが、私のご祈祷に変化がおきました。それは一人一人に時間をかけて行うことができたからです。熱湯の祈祷を続けてきた積徳により、お加持のときに手に異常な熱がでて反応するようになりました。

 私は師匠の日延大法尼の信仰を見てきましたので、一番感じることは、檀家さんのために祈ることが、自分に力を頂けるということです。修行は自分のためではなく人々のために力を尽くすことだったのです。やっと、それに気づくことができました。そこに感応があるのです。

 法華経に説かれている「病すなわち消滅せん」の力に近づけたよろこびがあります。仏教ばなれと言われていますが、法華経の力はこのように強いのですから日蓮宗は滅びないでしょう。なぜなら人の命を救うことができるからです。

 最近とても感激したことは

 お寺は必要なんだ!!

と強烈に感じたことです。
  お寺は心身の煩いを取り除く場所だったのです。毎月、先祖供養や1時のお参りで来られていた人の身体祈祷を行ってわかったことです。いつもお参りに来ていた時と違い、皆の体が重たいのです。お寺に入ると自然に浄化されることが見えました。

 お寺の存在は心身を清める聖地だったのです。

 お寺でお経をあげお題目をお唱えしていたのは、お祖師さまやご先祖さまだけではなく、お寺を聖地としていたことに気づいたのです。自我掲に「天人つねに充満」されているのがお寺なのです。そのために純心にお勤めをしようと感激しました。

 お寺にお参りに来て下さい。

 皆さんといっしょにお祖師さまに報恩感謝の生活をしましょう。お寺を護って下さい。お祖師さまは必ず私たちを守って下さいます。  合掌