181.伊賀流24代東日教上人(2)                   高橋俊隆

 尼さんから東日教上人のことをよく聞いていました。私たちは「御前さま」とお呼びしていましたので、特別な呼び方と思っていたのですが、お寺の住職である程度の年齢になると皆、御前さまと呼ばれるようになります。今、私も御前さまと呼ばれるようになりました。

 さて、「昭和の忍術腕くらべ」『面白倶楽部』3-41950年)に書かれているように、東日教上人が「飛んでいるすずめの両翼に千枚通しを通して落とし、さらにそれを抜いたらすずめが再び飛んでいった」という話をよく聞きました。尼さんが中山法華経寺の奥の院に入った頃、御前さまは不思議な力を見せていたようなのです。御前さまが尼さんに、あの飛んでいるスズメをとってあげようかと言った瞬間、スズメがパタパタと庭に落ちてきたので、かわいそうなことを何故するのですかと言うと、笑ってあのスズメを持って来なさいと言われたので、傍に行くと15pくらいの太い針のようなものが、スズメの羽を傷つけないようにぬってあったと言う話です。

 この『面白倶楽部』のなかでいちばん興味をもったのは、

「鉄棒を曲げたり、熱湯の中に手を入れたりして「忍術」を披露することがあった。」

という記事でした。これは、まさに「熱湯の祈祷」のことでしょう。昔は熱湯の祈祷をする行者がたくさんいたのだと思い嬉しく思いました。その熱湯の祈祷を東日教上人から尼さんに伝えられ、そして、私に引き継がれてきたことに感激しました。 

 東日教上人は私が将来その秘法を行うことを予知されていたのかを考えることがあります。最近、東日教上人は私が奥の院に行くと私の側に来てだまって立っていたことを思い出し、その雰囲気と並々ならない気迫を感じていたのは、私にその力を授けようとされていたのかも知れないと思うようになりました。

 熱湯の祈祷の原型は盟神探湯】(くがたち)にあります。その説明は、

古代における証拠方法。釜の中に入れた泥を煮沸してその中に小石を置き、被疑者または訴訟当事者にこれを取り出させて、手がただれるかただれないかによって罪の有無や主張の真否を判する方法。古代は神の支配する社会であるから、罪の有無、当事者の主張の真否を神に証言させようとしたのであり、神は有罪または証した者の手をただれさせると考えたのである。室町時代には、【湯起請(ゆぎしょう)】という名前で復活している。」

 私の場合も、私が正しく信仰をしていることの証明なのです。法華経の力を証明して皆さんに信仰心をもって頂きたいのです。そして、お祖師さまのために生きていこう、尼さんが居られる妙覚寺を立派にしていく悦びを持って頂きたいのです。  ―つづくー