186.正しさを知るため続ける     高橋俊隆

私がはじめてお寺に来たときは確固たる信仰はなかったけれど、神の存在は信じて育ってきました。

父親が神棚にお水を上げたのを見たのが、私の神への敬いという心が開いた瞬間でした。家には仏壇もあり何となく大事なものがあると分かりましたが、近づきがたい存在でした。それは先祖という死者のいる場所という気持ちと、死者に近づく恐れであったのかも知れません。

仏壇のお参りは母の父親と母親がきたときにお経を読んでいた記憶だけです。祖父は随分、長いあいだお経をあげると思って、傍に座って顔を見たら、あまりにも真剣な顔をして一心にお参りしていたのでビックリしたのです。祖父をそれほどまでに真剣にさせている存在への偉大性を感じたのだと思います。

それで、私も引き出しにあったお経本を手に取り覚えようとしたのです。信仰のあり方は親や祖母祖父から引き継ぐものだと思います。 

私は子供の頃、上砂川という炭鉱町に育ち神社によく行きました。お寺もありましたが、気安く入れる所ではなく、お墓にお参りする人しか入れないと思ったのかも知れません。しかし、今、考えてみますとお墓から醸し出す霊気みたいな煙を見ていたからかもしれません。 

神社は心を清めてくれる所でした。お寺の近くにも円山西町神社があるので、お寺のアイヌ犬コロやメリを散歩につれてよく行きました。二、三ヶ月たったころ、ふと神社の力が弱いことを感じました。たしかに心は清まる気がしますが何か物足りなさを感じるようになり、あるときコロを近くの木にいてもらい境内のお社まで拝みに行きました。そこで気がついたのは、神社は心を清めてくれるけれど、力を与えてくれるほどの力がないことでした。お寺のほうが、力が強いことを知ったのでした。 

 自分の身体で感じることは信仰の正しさを納得できることでした。それ以後、その正しい信仰心をお祖師さまに向かって今日まで続けてきています。続けることにより必ず力が授かることを何度も経験してきました。尼さんは元気なときこそ自分に力をつけておきなさいと言われました。何かあったときのためにということです。今は檀家の人のために力をつけるように精進しています。

 私がお坊さんになって、父親に神棚にお水を上げていた理由を聞いたことがあります。父親は水をあげたことは一度もないということでした。私が毎日お水をあげて神様も2回お水をいただいて嬉しいだろうと思っていたことを、今は懐かしく思います。