188.生きている私がいる   高橋俊隆

 コロナの不安はある程度おちついてきたというか、注意を怠らない生活に慣れてきたので、仕事や外出する人が増えてきました。経済活動があって生活ができることがよく分かったコロナ時代です。お互いに助けあうことも自然にできるようになったことは良いことです。

 病院に入院されている人も家族も会えない不安がいっぱいです。スマホで買い物ができるのは便利なことです。顔を見ながら話をするのも良いことです。外出が禁止されたため会話が少なくなり、自己のなかに埋没してしまい、結果的に外に向けての活動は退化したような気がします。自宅で仕事を長くしていると出勤が億劫になった話も聞きます。着飾ったりすることがなく、外出してもマスクなので化粧もしないでつい出てしまうこともあるようです。

 お寺としてはお参りに来て頂きたいと思いながらもコロナ感染を思うと、強くは言えませんね。お互いに万が一のことを思うからでしょう。

 私はパソコンを開いて最初に見るのが「妙覚寺」のHPです。所載のパソコン、自宅の家族共有のパソコン、スマホも必ず「妙覚寺」を開いて、お祖師さま、鬼子母神さま、納骨堂のお祖師さまにご挨拶します。東京などの出張しているときは、お寺を身近に感じて心が落ち着きます。

 寺離れとか墓ばなれが良いように錯覚している現代です。それは自分を棄て先祖を捨てることです。子供や孫を大事に思うならば先祖を大事にする心を養ってあげることです。

 法華経を断絶してはならないと、釈尊が説きお祖師さまはそのために生き抜きました。将来の不安がありますが、今、私は法華経を信仰している、お祖師さまにご給仕できる自分が今いると思うと、私の存在は大きく大事に思うようになり、前に進む自分がいます。

 ご精進をお願いいたします。御恩をお忘れないようにしましょう。 合掌