189.心はいつもお祖師さまに   高橋俊隆

 コロナの心配ばかりの三年ほどでした。昨年(令和4年)の後半あたりから会合がズームと合わせて始まりました。ズームに慣れると時間の短縮が出来て便利になったと感じました。今も東京の池上にある宗務院や、大崎の立正大学で行われる講義にズームで参加できるのでアリガタク思っています。

 外国にいる檀家さんの子供たちとズームによる法事を行い、遠く離れたところとお寺の本堂がつながって手を合わせている姿は悲しいながらも、会えたうれしさ、お話ができた楽しさもありました。

 やはりお寺にお参りに来てほしいと思います。札幌市内なら尚更と思います。お寺にお参りの人がいることはお寺の繁栄につながります。お寺にはお経の功徳が充満しているので、玄関に入っただけでも心身を清浄にして下さる法華経の力があります。不思議でしょうが、釈尊はそれを「如来の秘密、神通の力」と説いています。暗闇に太陽の日がさすように、渇した喉に水を得たようなことと譬えています。

 今年の始めに勧学院という日蓮宗の頭脳と言われる先生方の研修会議があり、私は二回目の発表をさせていただきました。ほとんどが教授先生なので勉強に勉強を重ねましたが、所詮、自分の限界がありますので、今の自分に理解できることを発表することになります。この年齢になった恥ずかしさと一歩一歩、戸惑いながら続けてきたことが実ったと感慨深いものがあります。

私が求めて歩み続けたのは、日蓮聖人の少しでも力になり、少しでも法華経の尊さを知りたいことでした。課題は檀家の皆さんにどのように分かって頂き、信仰の励みになさって下さるかということです。法華経の教えは人を大切にし、自分も大切に生きていくことです。しかし、四苦八苦があり迷いや悩みが必ずあります。楽しみは何なんだろう、生きていく幸せはあるのだろうかと思う人が増えてきたと言います。私はお題目をお唱えできることは、とても幸せな生き方と感じています。大事な人のために祈ってあげることもできます。

 法華経はそのような人の力となり、日蓮聖人はいつも私たちを見守り助けて下さっています。釈尊に感謝し日蓮聖人に報恩の信仰を誓いましょう。お寺にはいつまでもお祖師さまがいらっしゃいます。合掌