190.胸をなで下ろす   高橋俊隆

檀家さんのご本尊さまのお参りが終わったら、小さな女の子が珊瑚色のお数珠をもって走りよってきました。親玉のところにある玉をさして、「これはどうして一つだけなの?」と聞いてきました。

 日蓮宗の数珠は輪になっている主玉(おもだま)が108個あります。それに大きな親玉が2個、両方の房に20個ついています。2つの親玉は、「釈迦如来」と「多宝如来」を表し、108個の中に4個だけ小さい玉があり、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の四菩薩を表しています。両方にある房は弟子玉(でしだま)といい、右手側は2本、左手側が3本で、右手側のところにこの1個だけありますが、皆さんは気がついていたでしょうか。この1個を淨名玉(じょうみょうだま)といいます。

 数珠の持ち方やお数珠はどうして持つのかを聞かれたことはありますが、淨名玉がなぜ1個しかないことを聞かれたのは始めてでした。私は「お数珠の糸が切れてバラバラになり1個なくなったためにあるんだよ」と話してあげました。「ふうん」と納得したようでした。「え、そうなんだ、はじめてわかった」と大人たちが声をあげているのを聞きながら、お数珠のことを説明していなかったことを反省しました。

 人間は108の欲がありこの欲を煩悩(ぼんのう)といいます。108個つなげたお数珠を持つことにより、心からわき出ようとする煩悩を押さえ、身体を災難から守って下さる力があります。

 厄除けのご祈祷をして一番気を引き締める処は皆さんの背中です。背中にいろいろなものがあることが多いからです。自分の体のなかで手が届かない、目に見えないところです。昔から憑きものはここを狙ってくるのです。首に数珠をかけるのはこのためです。僧侶が水行をするのを見たことがある方は、桶の水を背中にかけているのは、これを防ぐためかと気がつくと思います。
 その背中は胸と表裏しています。胸と背中はつながっていて、この胸のところに私たちの心、魂があることを、ご祈祷のときはつくづく感じています。「胸をなで下ろす」というのは、安心する、ほっとすることですが、なぜ、このようなことが言われてきたのでしょう。私は心という魂は胸にあることを皆さんの身体から実感しています。

 心を落ち着かせて冷静にじっくり思案させることを、「胸に手をあてて考えましょう」と言いますね。不安なときは優しく手をあててお題目をお唱え下さい。お題目の力で勇気がでます。合掌