191.鎌倉から身延へ    高橋俊隆
  身延山(みのぶさん)の地名は日蓮聖人が名付けられたといいます。それまでは蓑部(みのぶ)と言っていたのを、当て字で身延とされたのは、身も心も安心して住むことができる処という意味とのこと。

日蓮聖人は32歳から53歳までは、大難4ヶ度、小難は数知れないという人生でした。50歳のときに佐渡に流罪となり赦免されたのは53歳でした。佐渡から鎌倉に帰った日蓮聖人はすぐに幕府に意見を述べます。流罪は誤ったことであること、そして、政治は法華経の教に順って行うことを述べます。

同じ仏教であっても唱える法師の誤りにより邪教となり、それは邪道に迷い込むことになるからです。邪道に進めば諸天善神は国土を守護できなくなり、しまいには天変地夭が起きると、釈尊は説かれていることを述べて、幕府の要人に諫言されました。

しかし、とうぜんのように聞き入れられることはありません。そこで、日蓮聖人は鎌倉での布教を弟子に委託されて、別の方向に布教を考えらえました。それが身延に向かうことになったのです。

身延山は山号(さんごう)で、寺名は久遠寺と言います。読み方は日蓮宗の方ならわかると思いますが、私の父がしばらく「くえんじ」と言って、「くえんじ」とは何処なのかと思っていたら、なんと「くおんじ」のことでした。いい思い出を残してくれました。

ちなみに、妙覚寺の山号は鷲峯山(じゅほうざん)です。開基の東日教上人が命名されました。釈尊が法華経を説かれた霊鷲山(りょうじゅせん)のことです。お寺の正面に掲げてある2代目の山号額にご注目下さい。私が揮毫させて頂きました。
 
 釈尊、お祖師さまがいつも法華経を説いている尊いお寺という意味、そして、私たちがいつまでも法華経を絶やさないために護るお寺と思っています。