193法華経の信者 美空ひばりさん.    高橋俊隆
  法華経の信者 美空ひばりさん        高橋俊隆

 美空ひばりさんが涙を流しながらも声を出して歌い続ける姿を尊く思います。私は葬儀のときお経をあげながら悲しみのあまり声が詰まることがあります。それではいけないのです。亡き人のため力強く引導する立場だからです。

 美空ひばりさんの歌と顔をみていると、師匠の日延大法尼を思い出します。どこか共通するところを感じるからです。日延大法尼の御声はつぶれて出来てきた声だから響きわたる声でした。東日教上人のもとで弁天堂の滝にうたれて荒行を積み重ねたものでした。

 冬に滝にうたれるのは相当厳しいことです。上から氷が落ちてくることもあったとのこと。命がけのことです。私は内心ぜったい冬には弁天堂に行かないと思ってしまいました。

ある日、滝に打たれながら、自分の誓願からなった尼僧とはいえ、自分の罪深さと滝の冷たさに思わず泣いたそうです。

 滝行を終えて本堂に入りお経をあげようとしたとき、御前さま(東日教上人)が、「今日は良い声でお題目を唱えていたな」と声をかけられたそうです。そのときの恥ずかしかったことを私たち弟子に話して下さいました。滝なら泣いてもわからないだろうと思ったそうです。

 日延大法尼が「どんなに苦しくても悲しくても声がでる。」泣きたいのに声が出る。それが悲しい」と言われたことがあります。その言葉が美空ひばりさんの涙を流しながらも歌い続ける姿に重なるのです。私はひばりさんは、本当は声が出なくなって歌えなくなることを望んでいるのに、それでも歌い続ける自分の強さに涙していると思いながら聞いています。「プロ」という表現は冷酷ですが、使命を帯びた者の真の姿を感じます。

美空ひばりさんは日蓮宗寺院の檀家であり熱心な信仰者でした。美空ひばりさんは子供のころから芸能活動をしてまともに学校教育を受けていないそうです。母親や手習いの本をみて文字を覚えたそうです。日延大法尼は子供のころに奉公にでたので、小説を読んだりして文字を覚えたといいます。努力を持続することを教わりました。さて、時代はうつりかわり、今は「認知症にならないための本」を開いて計算や熟語をならべています。私にとってはこれも努力かな。