195.日延大法尼の三十七回忌の年            .    高橋俊隆

 ふりかえる暇もなく夢中に来て今年は日延大法尼の三十七回忌の年を迎えました。
 昭和6310月6日、日延大法尼ご遷化されました。大きな動揺があり私は胸に空いた洞に気づかないように葬儀の準備に取りかかりました。始めての寺葬なので戸惑いながらも小入羽日才上人の仰せに従い干与人の寺院ではない顕本寺の先代ご住職に導師をお願いし、寺院関係や日延大法尼の親戚や知人に連絡をとりました。 

 僧侶の着衣は清浄衣と決まっているとのことで、急遽、私が荒行の再行のときに着た二枚のうちの綺麗な白色の清浄衣を用意しました。御祈祷の木剣や撰法華経、数珠などお持ちいただきました。「もういらない」と言われそうでしたが、何があるかも知れないので胸にかけ道中安全であるようにお送りしました。

 弟子達は毎日、病気平癒の祈願をしました。東日教上人は64歳、日延大法尼は65歳。懸命に唱えたお題目は無駄だったのかと、思わず考えてしまいましたが、火葬されたあとで東京の信者さんの川瀬さんから電話がありました。受け取ってみると、いきなり「こんな体になってしまった。・・お経をたくさんありがとう・・お経の力で違う・・お上人を頼む」との川瀬さんの体を借りて日延大法尼から電話があったのです。

 祈願は無駄ではなかった。死後にも功徳は引き継がれる。私は救われたと思いました。

 それから36年、37回忌をむかえます。私が住職になっての36年は私の人生の半分になりました。感慨にふけってしまい、ふと沈んでいたら納骨堂の亡き人たちが、生きている私に肉体があるのに何を考えているのか、と叱咤であり励まして下さいました。生きている尊さを知り生きているからできることがあるのです。

 日本の人口が減少しています。北海道は多く昨年は4万人以上少なくなり過疎化が年々進んでいます。道内の寺院の集まりがあると、口々にお寺の将来にたいしての不安ばかりです。東京でも大寺院ほど後継者がいないとの現実なのです。

 しかし、先師は戦乱や災害などで荒廃した寺院を建て直してきました。これからの時代にお祖師さまの弟子として法華経を弘通する意思の強い少年が出現されるのを楽しみにしています。妙覚寺も伝統のご祈祷を伝授したいと願っています。お寺の繁栄なくして家門の繁栄はないと子供を強信の檀家にしたのは本阿弥光悦であり、水戸光圀の祖母の養珠院夫人であり、東京の池上氏、富士の上野氏など、今も子孫が信仰を継承しています。

 妙覚寺も日延大法尼の願行を継承しましょう。子孫に伝えましょう。お寺を支えて行くことを人生の最大の楽しみとしたいものです。  合掌