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御前様はメガネをかけていました。その奥に細長く厳しい怖い目が潜んでいました。メガネごしに見るのがやっとで2秒くらいがせいぜいというほど怖い目をしていました。 人間の心の中を見る目であり、普通の人間には見えない者を見る眼だったと思います。威圧されてしまうのです。居あいぬきの達人でもありましたし、真剣で御祈祷をされることもありましたから迫力が違うのです。 当時は法論といいまして、他宗の僧と法華経とどちらが優れているかの問答をしました。論理ではなかなか勝負がつきません。どちらも正しいと言って引かないからです。そこで、現証の勝負をするのです。御前様が若いころには生死をかけてされたこともあったそうです。お互いに勝ち負けがわかるように祈願をかけるのです。日数をきめ、三十五日、一百日以内とします。その場で勝負が決まることもあるそうです。御前様と法論していた相手がそのまま炉ぶちの中に頭をいれてしまうこともあったそうです。 いくら法華経が優れていても、この現証勝負の場合には魔の力が加わるので、行力と気力(けりき)の勝負になります。最後まで気を抜くことはできません。法華経は相手を呪う修法は禁じられており、慈悲心を貫くのが優れたところです。 弁天堂のあたりにはそういう行者さんが多くいたらしいです。大きな岩のような石がたくさんあり、穴が掘られていてその中で行をしていたと尼さんからお聞きしたことがあります。今はその大きな石は川の流れで壊れてなくなりましたが、私が始めて行ったころはありました。 先日、信敬和会の新役員会の席で御前様のお経の声をお聞かせしました。尼さんの声も入っており懐かしく思ったでしょう。もう少し長い時間お聞かせすれば御前様のお声がどれほどすばらしいか、尚更におわかり頂けると思います。通常の僧の声を越えられた本当に法華経の行者さんの声です。子供のころから師匠に鍛えられた筋金いりと感心するばかりです。水行や荒行を重ねないと出ない声です。私の誇りであり越えられない目標です。 法華経寺から奥の院まで五分の道のりです。御前様にはお逢いできなくても尼さんの妹弟子が二人おられました。いつも仕事をされていました。お札やお守りも手造りでした。三ヶ月前からしないと間に合わないと思ったもので、昔風なことを今もしているのかと思いました。まさか、お風呂は枯れ葉を焚いてということは今はないなと思い、念のためお聞きしたらときどき風呂を沸かせと言われるよということでした。尼さんの言ってたことは本当だと思ったものです。 尼さんのお師匠さまであり尊敬されている御前様に二年ほどでしたがお近くに居て幸せに思っています。御前様が亡くなったと聞いたときには驚きました。倒れたということは直ぐに本山から知らされて、一週間後に亡くなりました。あの仙人のような人がと思い私は葬儀には信じ難く行きませんでした。信じたくなかったのです。尼さんも駆けつけてこられましたが、私の中では今でもそれは空白のままです。 倒れたその日も滝の水行をされたそうです。行者として行を続けなければならない宿命を感じました。 御前様が戸の隙間から覗かれて微笑んでおられるお顔と、御前様の後ろを追いかけるように歩いた私の記憶は未だに衰えません。御前様が私をみてよしよしそのままでという眼差しは私のものであり、偉大な御前様の後を追いかけるように歩いた、あの童心のうれしい気持を今もまだ持ち続けていたいのです。 御前様と尼さんの声をお聞きして、師から弟子に伝灯している法の繋がりを切に感じます。それは行者としての繋がりでもあります。私はそのような行者ではないと思いながらも、師匠がした如くに受けつながなければならないという責めを感じるのです。 尼さんは私たち弟子にこう言いました、「尼さんと同じ行をすれば尼さんと同じくなれるんだよ。だけど尼さんと同じようにしようとする弟子がいない」。 御前様の焼き火箸の秘法は途絶えたように思います。御前様が亡くなり弟子一同が集まり、奥の院に残ることになったM上人一人が焼き火箸の秘法をするという約束をしました。後にM上人は奥の院を出てしまいます。そのとき尼さんは御前様の弟子はしないという約束をしたが、誰もしなくなったら俊隆はしても良いといいました。 たった一人に私はこの秘法を使わせて頂きました。御前様の焼き火箸をつかって。私が始めて光り物をみたのは御前様のお姿でした。 |
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