46.日蓮聖人のご兄弟

 積雪に追われ気がつくともう4月です。
 1年のうち3分の一が過ぎようとしていると思うとドキッとします。
 日頃の運動不足が足腰にきて腰注意の状態です。御祈祷のあとはいつも足腰が張り、いわば慢性の腰痛が慣れない除雪を縁として痛みにかわってしまいました。
 腰はにくへんにかなめと書くように大事なところ。ここを痛めると身動きができなくなります。心も要を痛めるとダメになるのかなと思います。中国・台湾・韓国などから受ける反日騒動も心を痛めているからなのかと思います。人に言と書いて信。信に心で信心。言葉と心が足りないと真心が伝わらないのでしょう。思想も信仰も肝心な腰が痛まないよう常に養生しなければなりませんね。と私は反省しました。

 さて、お彼岸のお説教でお話ししましたように、日蓮聖人にはご兄弟がおられます。佐渡で書かれた『開目抄』に
 「日本国にこれを知れるものはただ日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母兄弟師匠に国王の王難かならずきたるべし」(縮769頁)
 と兄弟のことが述べられています。
 日蓮聖人は鎌倉幕府に政治的な批判はしていないのですが、他寺院の僧侶は宗教的に批判されることを嫌っていました。仏教の真実よりも経済的に潤えるか権力を握れるのかが問題であったため日蓮聖人を排斥したのです。
 この対象は日蓮聖人が述べているように、父母兄弟、師匠や弟子、そして檀家にも及びました。日蓮聖人は法華経を広めお題目を唱えること選びましたが、実はその心の中にはこのような葛藤があったのです。
 父母や兄弟の身を案じられた日蓮聖人の心を窺うことができました。

 江戸時代(1674〜1748)に、身延山の36世になった日潮(にっちょう)上人は『本化別頭仏祖統記』(ほんげべつづぶっそとうき)39巻を日蓮聖人の450遠忌に著作しました。
 このなかに、日蓮聖人は五人兄弟のなかの四番目と書かれています。
 長男は貫名重政(ぬきなしげまさ)。日蓮聖人の父親の姓は貫名といいます。
 次男は幼少に亡くなっています。三男は重仲。そして四男が日蓮聖人で善日麻。
 五男が藤平重友です。
 日蓮聖人が亡くなられたときに池上にご兄弟が来られています。池上の本門寺の涅槃図に長男の重政さんと弟の重友さんが日蓮聖人の枕辺に座り涙を流されている姿の絵図を今に伝えています。三男の重仲さんは既に没していたのでしょう。絵図に姿は見えません。現在、弟の貫名藤平重友さんの家系は続いています。
 私が荒行堂に入ったとき、隣におられた方は藤平(ふじひら)上人で、本人は日蓮聖人の子孫と言われていました。