47.弁天堂と尼さん(1)

 尼さんの信仰のきっかけはご主人の病気を治そうとされたことから始まりました。
 後に、尼さんが先に得度し小入羽上人も得度することになりました。『妙覚寺の30周年の歩み』という本に詳しく書かれています。

 当時は函館におられ、たまたま奥の院の東上人が当地に来られることを聞き、そこで始めてお会いすることになりました。御前様(東上人)から主人の命は長くないと言われましたが、自分のできることは精一杯しようということで日蓮宗のお寺でお題目の行をさせていただきました。
 一日にお線香七本というお題目の行ですから、大変なことですが、家事やイカさきの合間のことですし、お姑さん達からはどうせ助からないのにと言われたそうです。
 お題目の前にまず浄行さんのところで水行をされました。自我掲を一回あげて一杯の水をかぶるそうです。始めは自我掲がなんども同じところを繰り返し、なかなか自我掲が終わらず、四とダルをかぶり終わるまでに数十分かかったそうです。
 ある日、同じように水行をしていたところ気絶してしまい、その中である経験をされました。怖い顔をした方がすっと前に現れて、「そちの心願ききとどめてそうろうぞ」と申されたそうです。
 尼さんはこわごわながらも、「あなたさまのお名前はなんと申されますか」と聞かれたところ、「我は鬼子母なるぞ」と答えられ、続けて、「世の中に神、仏をあると思え」と言われ、ニコッと笑われたそうです。そのとき鬼子母神さまのお口が耳まで裂けたのを見てビックリして目を醒まされたそうです。
 ご主人の小入羽上人の病気も奇跡的になおりました。手術室に運ばれる廊下で、尼さんはしきりにお題目を唱えてと小入羽上人に叫ばれたそうです。ドクターから、「このキチガイ女」と言われ振り払われたそうですが、なんとか治してあげたいという一念から形振りかまわず叫んでいたそうです。小入羽上人はそれに反応して口に詰めてあったガーゼを自分で取り除きお題目を唱えられたそうです。その時、寝台車の下から後光がさしたと尼さんは申していました。

 退院後も尼さんの信仰は続きました。夜になり布団に入り寝ようとすると、黒い改良服(お坊さんの衣)を着て、南無妙法蓮華経と書かれたたすきをした人が迎えに来るそうなのです。そして知らない川に連れていって柄のない杓で水をかぶれと命令するそうなのです。どうして水をかぶらなければならないのかとイヤだと思ったそうです。その後もずっと同じことを繰り返すので、むりやりに水をかぶらせられるよりは自分から先にと思い、寝る前に共同の水汲み場に行き、そこで水行をされました。

 後日、中川善恵さんと村田日豊さんと尼さんの三人で身延山・弁天堂・中山法華経寺・奥の院にお礼参りに行くことになります。まだ得度以前のことです。
 このお礼参りが尼さんの人生を変えることになりました。弁天堂は尼さんの修行の地となります。ここで感応が磨かれました。次回にこの後を書きます。